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「コイソモレ先生」番外編 しりあがり寿

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本誌連載「コイソモレ先生」が、つげ義春作品のパロディで放電に出張!

「アックス」誌上にて好評連載中の「コイソモレ先生」が、今回は放電横丁に出張。『アックスVol.119』の「巻頭特集つげ義春・生誕80周年記念、祝トリビュート!」に合わせて、つげ作品のパロディ四コマを発表!!

【しりあがり寿】
1958年静岡市生まれ。1981年多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン、広告宣伝等を担当。1985年単行本『エレキな春』で漫画家としてデビュー。
パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。1994年独立後は、幻想的あるいは文学的な作品など次々に発表、新聞の風刺4コママンガから長編ストーリーマンガ、アンダーグラウンドマンガなど様々なジャンルで独自な活動を続ける一方、近年では映像、アートなどマンガ以外の多方面に創作の幅を広げている。

主な作品
『流星課長』 『ヒゲのOL籔内笹子』 『地球防衛家のヒトビト』 『コイソモレ先生』 『方舟』 『あの日からのマンガ』 『ゆるめ~しょんシリーズ(アニメ作品)』『ジャカランダ』『双子のオヤジ』他
公式サイト:「ほーい!さるやまハゲの助」http://www.saruhage.com/

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「愛と戦いの船」第2話 まどの一哉

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民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

【まどの一哉 】
1956年生、大阪府出身。美学校絵文字工房(講師・赤瀬川原平)卒。
1976年、月刊漫画『ガロ』12月号にて「運命の男」でデビュー。その後『クイック・ジャパン』『アックス』『電脳マヴォ』等で作品を発表。

まどの一哉「絵空事ノート」http://esoragoto.iga-log.com/
「電脳マヴォ」公式サイト http://mavo.takekuma.jp/

著書として『洞窟ゲーム』『世の終わりのためのお伽噺』(青林工藝舎)、『西遊記』(ワイズ出版)がある。

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まだ終わらない 第八話「ままカフェ」芳賀由香

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福島県郡山市在住の作者が自身の体験を元に綴る一話完結シリーズの第八回。

まだ終わらない 第八話「ままカフェ」

「私たちは本当に放射線のことなんて忘れて生活したい。 でも、そこに在るのに忘れるわけにいかないし、日本中の人々に忘れてほしくないのです」

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「放電ファミリーと横丁の人々」第24回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロの非ほのぼの系ファミリー4コマ。 毎月第4仏滅(たまに第2仏滅も)更新!

「放電ファミリーと横丁の人々」第24回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロ プロフィール

1976年高知県いの町生まれ。 2000年、ヤングチャンピオン(秋田書店)増刊号にて4コママンガ「ミドル未熟児」でマンガ家デビュー。

2004年より高知新聞夕刊にて、地元の方言である土佐弁を使った4コママンガ「きんこん土佐日記」を連載中。 主に4コママンガ、ショートマンガ、イラスト、キャラクター作成などで活動。 ワークショップやトークイベントにもたまに参加。定期的に個展を開いている。
webサイトhttp://masahiromuraoka.net

「ハルさんちのハンドメイド~大きな手小さな手」第三十一回 池田ハル

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イラストレーター池田ハルが娘さんと一緒に作る楽しいハンドメイド!!

「ハルさんちのハンドメイド~大きな手小さな手」第三十一回 池田ハル

裸のアヌーシュカ、単行本刊行記念展Vol.1~Vol.4へお越しいただいた皆さまどうもありがとうございました!お世話になりました方々にも感謝します。また来年も展示でお会い出来るよう頑張ります。これからもどうぞよろしくお願いします。

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  • 1. 大切なお知らせ「Les Anouchkas Dénudées」
  • 2. 新作あにゅーしゅか・ジン2「Anouchkas ZINE2」
  • 3. Les Anouchkas Dénudées Vol.4 “Le bureau de Mal” -「マルの書斎」@タコシェ・レポート◎
  • 4. 最初に作った絵本(ZINE)のこと。
  • 5. 裸のアヌーシュカの音楽について。
  • 6. 食品サンプルをつくろう!ワークショップ

1. 大切なお知らせ「Les Anouchkas Dénudées」

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まず最初に大切なご報告をさせてください。

「裸のアヌーシュカ」の仏語タイトルを 「Les Anouchkas Dénudées」と変更いたします。

今さらで申し訳ございません。すでに単行本も発売となっておりますのでこの先、本を刷り増す場合や新たな制作物、展示などの表記にともない修正をして行きます。関係者の皆さま、ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。

「裸のアヌーシュカ」は完成までに10年以上の時間をかけているため、途中いろいろなことがありましたが、今回の個展Vol.4の準備中に気がつきました。

『Anouchkasが女性名詞の複数形になるので それを形容するdénudéもあわせて、女性複数形のdénudéesとなるのです』
Les Anouchkas Dénudés→「Les Anouchkas Dénudées」◎

この漫画を描きはじめた当時、わたしはフランスへ留学経験のある写真家にフランス語の相談をしていました。何度か話をしましたが彼は『タイトルとか、そういうのは作家が考えて付けるものだから、作家がそれでいいと思うのならそのままでいい』と言っていました。その時のことを思い出しつつ、タイトル表記を変更するべきか考えて来ましたが、この漫画は女性に敬意を払っている物語ですから、ここからでも変更した方がいいと思いました。

長年愛着をもってこのタイトルと共に漫画を描いて来ましたから、これまで作って来たプロダクトや漫画そのものに何も後悔はないです。どうぞそのままお手元に置いていただければ幸いです。

そして、これからタイトルの一部は変わりますが、新タイトルと共に続きを描きたいと思っておりますので、よろしければこの漫画の行く先を見守っていただければ大変嬉しいです。

最後に、仏語タイトル表記にご指摘をいただいたNさんと、ご指導いただいたBさんに感謝いたします。ありがとうございました。これまで多くの諸外国の皆さんにこの漫画を観てもらいましたが誰も気がつきませんでしたー。わたしの名付けた登場人物たちは名前というかニックネーム的であり、それが男性・女性であるかということも、物語りを最後まで読み込まなければ解らなかったと思うのです。

追伸:ささやかではありますが、単行本をこれからお買い上げいただく方々には「新しいロゴマークの栞」をお付けしたいと考えています。多めに制作しますので、これまでにお買い上げいただいた方々も今後わたしの個展などでお声掛け下されば差し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。

2017.10.7 池田ハル

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公園にバラの花が咲いていました。

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版画のアトリエに入り、こんな風に製版をして、自分でシルクスクリーンを刷っているんですよ。それにしても汚れた版で失礼しました。これは作家さんから譲り受けたものなのです。

2. 新作あにゅーしゅか・ジン2「Anouchkas ZINE2」

裸のアヌーシュカ「Les Anouchkas Dénudés」 Vol.4 - Mal「No.1000 マルの書斎」によせて

『快晴だモナムール絶望的なまでに限りないノスタルジア豊穣の煌めき紺碧の海キラキラ星の夢から覚めて-美しい子供部屋に宿る娘マドモアゼル・ナナによって叩き起こされる AM8:13』

漫画「裸のアヌーシュカ」の物語を、ほぼ全編モノローグで導く彼の名前はマル。今は未来の作品のプロットを考えてる。書斎にはいつも沢山の本が山積みになっていて彼は何か調べものをしているのだった。無口な彼は「おしゃべり」とも呼ばれている。時々口にする気取り屋なセリフは、その時読んでいた本の影響が強いように思われる-。

わたしのライフワーク、30代の10年間をほぼ「裸のアヌーシュカ」の執筆のために費やしたため、その時々自分も調べ物をしながら、学びながら、マルと共にこの物語を考えて行った様に思います。未来の作品のプロットを考えながらわたしは、仕事部屋で山積みの本と気取り屋なセリフを口にしながら「おしゃべり」していたのかも知れません。

セツ・モードセミナーの師・長沢節さんとスケッチ旅行で訪れた南仏ヴィルフランシュにて、ジャン・コクトーが天使の壁画と内装を手掛けた「サン・ピエール礼拝堂」を見つけました。コクトーが「鳥刺しジャン」を執筆した「ウェルカム・ホテル」も、海や街並も、漫画の中に登場する南仏のシーンは、実際にわたしが訪れた時の写真を見て描いています。コクトーの絵とセツさんの絵がウェルカムホテルのレストランに飾られていた日のことも、その後に訪れたパリのことも。いつまでもわたしにとっての宝物のような、決して絶望的でなどなく限りないノスタルジアなのでした。

~「Anouchkas ZINE2」2017年9月制作の一部より~

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eが1つ増えてさらにバンド感が出て来た「裸のアヌーシュカ」新作ZINEと共に。ここまで気がつかなくてごめんなさい。

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新作あにゅーしゅか・ジン2「Anouchkas ZINE2」には、過去にお仕事で描かせていただいた「アヌーシュカ」も掲載しています。

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こちらは最初の「あにゅーしゅか・ジン」。表紙は日本語だけでした、このロゴも気に入ってます。単行本ではわたしの手描きロゴを使用しました。あたらしく作った名刺の裏にもあたらしいロゴをプリントすることにしました、日付も入れます。これから差し上げる栞はこのサイズになる予定です。

3. Les Anouchkas Dénudées Vol.4 “Le bureau de Mal” -「マルの書斎」@タコシェ・レポート◎

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アクリル圧着のオブジェ的なものを作って頂きました。今もタコシェにあります◎

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映画のワンシーンの様で素敵な仕上がりです◎

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セツ・モードセミナーの師・長沢節さんやセツのみんなと訪れた街、南仏ヴィルフランシュの思い出を今回の個展で10枚描きました。この絵は漫画の中にも出て来る構図です。

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会期中に開催した似顔絵イベントにて、1回目は6名の方々を描かせていただきました。感謝です◎

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2回目は2名の方々を描かせていただきました。ありがとうございました!

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こちらはVol.1の会場パールブックショップ&ギャラリーで描かせていただいたお二人さん、初公開。ありがとうございました◎

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今回の展示の見所は、原画を多数展示したこと。それを元に印刷物や版画、着色絵とを見比べることができました。インスタグラム他、SNSでもとても丁寧に説明をしていただきました。タコシェの皆さま、色々と本当にどうもありがとうございました。

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さて、今回は「マルの書斎」をテーマにしていましたから、実は1冊だけわたしの大切な本を忍ばせていたのですが、見つけてもらえましたでしょうか?パリのブキニストで見つけた装幀がとても美しい本です◎誰も気付いていないかも知れませんが、この展示スペースに併せて選んだものでした。また時々何か仕掛けを考えてみたいと思います。

4. 最初に作った絵本(ZINE)のこと。

1994年当時、わたしは世田谷美術館・市民ギャラリーでのグループ展を友人と企画し参加しました。その時に1冊の絵本を版画で作ろうと思いアトリエへ通い始めたのです。版種はシルクスクリーン・プリントでした。全15ページの絵本を20冊くらい作りました、刷りも綴じ方も製本まで手作りなため1部¥4,000で販売しました。半分くらいは美術館で友人たちが買ってくれましたが、残りを販売するためのショップを探していたのです。その時に多分友人がタコシェを教えてくれたのではないかと思います。当時タコシェはまだ高円寺に店舗があり、上階には友人「岡画廊」の岡啓輔さんが住んでいました。※現在東京都港区三田で「蟻鱒鳶ル」を建築中の岡さんです。はじめて自分の商品を置いてもらったのはタコシェでした。その時の絵本を2ページだけご覧いただきたいと思います。以下:

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今改めて読み返すと、この絵本に使用しているフォントが「裸のアヌーシュカ」とほぼ同じ書体で驚きました。当時は写植を打ってもらったのです。シーツがふわん~となるところや、少しだけ太陽に溶けるところ、ダンスのシーンなどはそのままアヌーシュカなのでしたー。パッと目に入って来るPOPな色づかいが気持良くて、これほど線画の人なのに線を最小限にまで削っているところにも好感が持てます。何か良いカタチで、この絵本を再発表できる機会をつくりたいと考えています。

5. 裸のアヌーシュカと音楽について。

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1. Bandes Originales des Films de Jean-Luc GODARD.

2. BANDE ORIGINALE DE ALA COMEDIE MUSICALE “ANNA”.

3. The Velvet Underground “Loaded”.

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4. YUMI ZOUMA “YONCALLA”

5. Italian Do It Better “After Dark”

6. NITE JEWEL “LIQUID COOL”.

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7. BRIGITTE FONTAINE “BRIGITTE 3”.

8. BORIS VIAN “LA BANDE A BONNOT”

1番から順番に、漫画を描きながらよく聴いていた音楽を会場毎に選び持参したものです。原画や作品、BGMと併せて「裸のアヌーシュカ」の世界を漂ってみて欲しいと思いました。

1~3@パールブックショップ&ギャラリーでよくかけたもの。

4~6@ルヴァンのカフェ・ルシァレでよくかけたもの。

7~8@タコシェ用にさらに追加したもの。

在廊中に重すぎると辛くなるので最近のものを取り入れつつでしたが、不思議とココでは重いくらいがちょうど良く感じられて後から何枚か追加しました。けれど、元々タコシェに携わっているミュージシャンたちの音楽の方がハマっていたのかも知れません。楽しい経験でした。

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Thank you for coming my exhibition “Les Anouchkas Dénudées - Mal” !!! どの写真にも沢山の本が映り込んでいるココ、タコシェは「マルの書斎」にピッタリな会場でした。ありがとうございました!!

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引き続き、ZINEやリソグラフ・ポスターなどはタコシェにてお取り扱いいただいています。よろしくお願いします。

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今回描き下ろした小作品たち。

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“Chapelle Saint-Pierre, Chloé” - My daily artwork 20170927. 小さな絵11・完成

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“Villefranche-sur-Mar2, Chloé - My daily artwork 20170930. 小さな絵12・完成

< p>最後はとても静かな絵になりました。セツっぽい絵になりましたーと言ったらまたセツさんに耳を引っぱられそうですが、気に入ってます。また来年も展示でお会い出来るよう頑張ります。これからもどうぞよろしくお願いします。

食品サンプルをつくろう!ワークショップ

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個展のはじまる少し前の6月に、いつものメンバーの皆さんと立川の昭和記念公園までピクニックに出かけました。お目当ては、公園内にある木工房のワークショップに参加することでした。¥100から~地元のおじいちゃんたちと子供向けの木細工を楽しむことができます。わたしと娘は何度も参加しているのですが、皆さんを連れて行ってあげたかったのです。詳細は以下のリンクからどうぞ。

昭和記念公園 木工房

そして上の写真は何かというと、わたしが空いた時間で作ろうと思って準備しておいた「食品サンプル」の完成図です。木工房のあとに皆さんとレジャーシートの上で制作しました。ほんのオマケですがー。木工房でみんなで作った大切な作品はもちろん記念撮影したのですが、それはそっと仕舞っておくことにしたのです。こちらが今回のメインとなりました。「ハルさんちのハンドメイド~大きな手小さな手」でした。

今日はここまで。

池田 ハル プロフィール

福岡生まれ。セツ・モードセミナー卒業後、古着屋店長、デザイナーなどを経てフリーランス。漫画家・アーティスト・イラストレーターとして女の子の企画を中心に活動中。2017年漫画「裸のアヌーシュカ」を上梓。ハンドメイド好きな一児の母親でもある。
「小さな手が大きくなるまで一緒に手作りできたらいいなぁ♪」

HALNOTE.COM
http://www.halnote.com

「流れる雲のように」 第18話 末井昭

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高校卒業し出版界に入るまでの苦悩と葛藤を描いた連載小説! 挿画/東陽片岡

「流れる雲のように」 第18話 末井昭

18. 描くテロリズム

清風書房でイラストの仕事を始めてから、憂うつな日々が訪れるようになりました。

描きたいもののイメージはあるのですが、具体的に何を描くかが決まりません。いつものようにノートを持って喫茶店に行き、考えていることをメモします。しばらくご無沙汰していた「情念」だ「死」だ「闇」だといった言葉が、再び頭の中で飛び交うようになりました。

俺が「死のイメージ」と言うと、人は多少の軽蔑を込めて「好きだねぇ」と言う。そこで会話は止まってしまう。俺が生まれた山奥の村。死霊が村を覆っているときがある。人が死ぬ。雨が降る。そしてまた誰かが死ぬ。「あの人に呼ばれたんだなあ」と誰かがいう。死のイメージなんか誰も好みはしない。が、しかし、死のイメージは厳然としてある。

死のイメージもそうだが、不吉なもの、醜悪なもの、おどろおどろしいものなど、誰も見たくはないだろう。しかし、いま東京で生活していて、人間の醜悪さに蓋をして、表面的な人間付き合いをしている自分に不安がある。それは自分をどんどん孤独にしてゆく。

毎日意味のない会話に明け暮れ、どうしようもない虚無感の中で生活している。これは絶望ではないだろうか。絶望を感じた者にとって生きる為の手段は、その日常を打ち壊していくこと、己の内に闇を抱えその中に潜むこと。俺は闇の中に潜むのだ。

いま読むと、わかったような、わからないような文章ですが、内向的で、コンプレックスが強く、人とうまくコミュニケーションが取れない自分の居場所を、「闇」と呼んでいたのではないかと思います。

その「闇」をひっくり返して「宮」にして、宮五郎と名乗ることにしました。五郎は、藤田五郎原作の映画「無頼 人斬り五郎」から取りました。闇の中に潜み、イラストレーションという表現で人斬り五郎のように見る者を斬る、といったイメージがあったのだと思います。

(これは余談ですが、宮五郎という名前にしてから1年ぐらい経ったころ、ぴんからトリオが「女のみち」という歌でデビューし、一躍有名になりました。そのメンバーの中に、うしろで突っ立ってギターを弾くマネをしている人がいるのですが、その人の名前が宮五郎といいました。ボケーッとした顔で、ギターのネックの同じところを押さえている姿をテレビで見るのが恥ずかしくて、宮五郎という名前はそれから使わなくなりました)

描くものはみんな暗くてドロドロしたものばかりでした。そのころ読んでいた夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」の最初に出てくる、「胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって おそろしいのか」という詩のような文章にドキッとして、その文章を元にイラストを描いたりしていました。

こんな日記もあります。

いま描きたい絵は、ダイナマイトを腰に巻き付けたロングコートの男、相手が来るのをじっと待つ日本刀を背にした男、スパッと斬った田中角栄の首が空を飛ぶところ、そんなテロルのイメージがある絵だ。凝縮した情念、恐ろしいまでの孤独、そういうものがテロリストと重なるからだ。

絵が完成するまでは闘いだ。白い紙との闘い。白い紙に己の怨念を染み込ませる闘いだ。白い紙はいつでも白け切って己の前にある。それを闇で塗り潰すことが絵を描くことだ。出来上がった絵は己の分身だ。その分身と誰かの対話が始まる。それもまったく通じ合わない対話が。

そのころ学生運動は武装闘争が過激になっていたので、その影響もあって、絵を描くことが、自分にとってのテロリズムのように思っていたのかもしれません。

「通じ合わない対話」とは、自分が描いたイラストがまったく評価されないということです。評価されないことが最初からわかっているのです。それは、自分で評価していないということでもあるのです。そういう出口の見えないモヤモヤで、いつも憂うつな気持ちになっていたのでした。

イラストの仕事だけでは生活できないので、クラウンの看板描きも続けていました。忙しいときには、あの「黒い太陽」の近松さんに手伝ってもらっていました。

クリスマスが近付くと、看板の注文が多くなります。クリスマス前後はピンクサロンの書き入れどきです。値段も通常時の1.5倍から2倍になります。看板も、メニューも書き換えなければなりません。

クリスマスイブの12月24日も、クラウンの地下室で看板を描いていました。店は満員の様子で、上からバカ騒ぎの声が聞こえてきます。かじかんだ手に息を吹きかけながら看板を描いていると、何もかもぶっ壊れてしまえ! といった気分になってきます。

その日の午後7時15分に、新宿伊勢丹横の追分交番でクリスマスツリーに模した時限爆弾が爆発しました。クリスマスというキリスト教の行事を、商業主義が消費のためのお祭りに仕立て上げ、バカどもは浮かれ騒いでいる。クリスマスなんてぶっ壊れてしまえ! と思っていた僕には、この爆弾事件には感慨深いものがありました。そしてこの爆弾を仕掛けたであろうテロリストに、強いシンパシーを感じたのでした。

堂々巡りばかり続く自己表現の束縛から解放されるきっかけは、東京三世社の仕事をするようになったことです。清風書房を紹介してくれたカメラマンの山崎さんと同じパターンで、クインビーの宣伝課にいた阿部くんというカメラマンが、東京三世社というエロ雑誌を出している出版社にヌードカメラマンとして入り、仕事を紹介してくれたのでした。

東京三世社は老舗の出版社で、『実話雑誌』『SMセレクト』『MEN』『PINKY』といったエロ雑誌を出していました。同じエロ雑誌でも、清風書房のものに比べてクオリティーが高いと思いました。

編集部はクインビー宣伝課のあるビルから御徒町に少し行ったところにある、古いビルの1階にありました。

編集者が出てくるのはたいがい夕方からで、午後7時ごろから12時ごろまでがみんながいる時間帯です。校了のときなんかは朝までいる人もいて、完全に昼夜逆転していました。

僕が頼まれた仕事は、捨てカットや書き文字です。仕事を貰ってきて家でするのではなく、現場に行くのです。電話が来るのはたいてい入校日の前日で、ペンや筆や定規や墨汁やケント紙などを持って編集部に行き、空いている机を借りて待機します。

隣ではベレー帽を被った人が、原稿用紙に向って『実話雑誌』の原稿を書いています。明日入校だというのに、まだ原稿を書いている状態です。

「実話」というのは、ノンフィクションということだと思っていました。下着泥棒を捕まえてみたら元警察署長だったとか、主婦が産婦人科の先生に診てもらいに行ったら犯されてしまったとか、そういう事実を取材したり、当事者から聞いたりして書いているものが実話だと思っていたのですが、実際は隣にいるベレー帽の人のような実話作家たちが、さもあったかのようにサラサラ書いているのです。職人の仕事のようです。その原稿を編集者が割付して、空いたスペースに入れるカットを僕が描くのです。

「宮さん、それが終わったらこれをお願いします」と、次から次に仕事を頼まれます。まるで突貫工事のように、みんな忙しそうに仕事をしています。次の日に入校しないといけないので、みんなテンションが高くなっていて活気があります。「飯でも食べに行こうか」と言って、連れ立って外に出ていく人がいたり、仕事が終わったのか、「よ~し、トルコ(ソープランド)に行くぞ」と言っている人もいます。そういう声を聞きながら、僕は黙々と仕事をしていました。

もう表現がどうのとか、死のイメージがどうしたとか言ってる場合じゃありません。とにかく早く描かないといけないのです。それに捨てカットやレタリングに表現もクソもありません。

朝の3時か4時に終わって、タクシー代を貰って帰るのですが、タクシーに乗るのはもったいないので、上野まで行って日比谷線の始発電車を待って帰っていました。眠りこけてしまい、中目黒の車庫に入った電車に一人取り残されていたこともあります。

東京三世社の仕事をするようになって、自己表現にはこだわらなくなりました。編集者が求めているものを早く仕上げる、そのことだけを心がけるようになりました。

「放電ファミリーと横丁の人々」第25回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロの非ほのぼの系ファミリー4コマ。 毎月第4仏滅(たまに第2仏滅も)更新!

「放電ファミリーと横丁の人々」第25回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロ プロフィール

1976年高知県いの町生まれ。 2000年、ヤングチャンピオン(秋田書店)増刊号にて4コママンガ「ミドル未熟児」でマンガ家デビュー。

2004年より高知新聞夕刊にて、地元の方言である土佐弁を使った4コママンガ「きんこん土佐日記」を連載中。 主に4コママンガ、ショートマンガ、イラスト、キャラクター作成などで活動。 ワークショップやトークイベントにもたまに参加。定期的に個展を開いている。
webサイトhttp://masahiromuraoka.net

「放電ファミリーと横丁の人々」第26回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロの非ほのぼの系ファミリー4コマ。 毎月第4仏滅(たまに第2仏滅も)更新!

「放電ファミリーと横丁の人々」第26回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロ プロフィール

1976年高知県いの町生まれ。 2000年、ヤングチャンピオン(秋田書店)増刊号にて4コママンガ「ミドル未熟児」でマンガ家デビュー。

2004年より高知新聞夕刊にて、地元の方言である土佐弁を使った4コママンガ「きんこん土佐日記」を連載中。 主に4コママンガ、ショートマンガ、イラスト、キャラクター作成などで活動。 ワークショップやトークイベントにもたまに参加。定期的に個展を開いている。
webサイトhttp://masahiromuraoka.net

「愛と戦いの船」第3話 まどの一哉

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民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

【まどの一哉 】
1956年生、大阪府出身。美学校絵文字工房(講師・赤瀬川原平)卒。
1976年、月刊漫画『ガロ』12月号にて「運命の男」でデビュー。その後『クイック・ジャパン』『アックス』『電脳マヴォ』等で作品を発表。

まどの一哉「絵空事ノート」http://esoragoto.iga-log.com/
「電脳マヴォ」公式サイト http://mavo.takekuma.jp/

著書として『洞窟ゲーム』『世の終わりのためのお伽噺』(青林工藝舎)、『西遊記』(ワイズ出版)がある。

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「わかいひとへ」第5話 内田春菊

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数々の名作を世に生み出してきた著者が、読み切り連載で遂に放電開始です!

数々の名作を世に生み出してきた著者が、読み切り連載で遂に放電開始です!

【内田春菊 】
1959年長崎県生まれ。1984年、四コママンガで漫画家デビュー。
85年「ガロ」9月号に短編「おそろしいかえる酒」で登場。同年青林堂より初の作品集『春菊』が発売される。
94年『私たちは繁殖している』『ファザーファッカー』の2作品で第4回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。マンガ家、小説家、俳優、歌手、など多岐にわたり活躍中。
また、落語立川流の門下でもあり、高座名「立川於春の方」を持つ。代表作に『シーラカンス・ロマンス』『南くんの恋人』『物陰に足拍子』などがある。


ブログ「Shungicuのクはcu」http://www.shungicu.com

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放電ファミリーと横丁の人々」第27回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロの非ほのぼの系ファミリー4コマ。 毎月第4仏滅(たまに第2仏滅も)更新!

「放電ファミリーと横丁の人々」第27回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロ プロフィール

1976年高知県いの町生まれ。 2000年、ヤングチャンピオン(秋田書店)増刊号にて4コママンガ「ミドル未熟児」でマンガ家デビュー。

2004年より高知新聞夕刊にて、地元の方言である土佐弁を使った4コママンガ「きんこん土佐日記」を連載中。 主に4コママンガ、ショートマンガ、イラスト、キャラクター作成などで活動。 ワークショップやトークイベントにもたまに参加。定期的に個展を開いている。
webサイトhttp://masahiromuraoka.net

「ハルさんちのハンドメイド~大きな手小さな手」第三十二回 池田ハル

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イラストレーター池田ハルが娘さんと一緒に作る楽しいハンドメイド!!

「ハルさんちのハンドメイド~大きな手小さな手」第三十二回 池田ハル

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  • 1. 木の実であそぼう!森のエビフライとブタの鼻?!
  • 2. 時計をつくろう!ワークショップ その2
  • 3. つげ義春トリビュート展 第3弾「続・拝啓つげ義春様」(雑誌「アックス」編)
  • 4. 新作あぬーしゅか・ジン3「Anouchkas ZINE No.3」
  • 5. 堀さんの一輪挿し

秋が深まりつつある今日この頃ですが皆さまいかがお過ごしでしょうか。わたしは先月の個展が終了しまして、今年は夏休みをはさんで展示が続いたため子どもをキャンプへ連れて行ってあげられなかったので、この季節に「はじめての秋キャンプ」を企画してみました。目的は紅葉狩りと、バーベキューでマシュマロを焼くことでした(子どもの強い希望)。友だちに教えてもらった奥多摩の「山のふるさと村」はとてもリーズナブルで奥多摩駅から送迎バスがあるので車を運転しない親御さんにも良いですよ。但し、キャンプ場まではすさまじい坂道を歩く事になります。→東京都立奥多摩湖畔公園「山のふるさと村」http://www.yamafuru.com

1. 木の実であそぼう!森のエビフライとブタの鼻?!

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「山のふるさと村」近辺で見つかる沢山の木の実。

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紅葉を背景にこんな秋色フレームを見つけました。

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『はい、これは森のエビフライとブタの鼻ですよ』松ぼっくりの葉をむしってゆくとこんな風にエビフライの様な芯が残るそう。くるみを半分に割って見せてもらいました。ブタの鼻!面白い!

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奥多摩湖

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キャンプ場でいただく珈琲のありがたさ。

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紅葉。

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紅葉。

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自分たちで集めたくるみの実を持って帰って(一応、許可をもらいました)洗って干しているところ。手でこすり合わせるとコリコリといい感じの音がします♪山のふるさと村にあった手遊び用のくるみはもっと色鮮やかでした、ヤスリをかけてニスを塗ってみようかな?

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森のエビフライとブタの鼻の作り方◎

2. 時計をつくろう!ワークショップ その2

「ハルさんちのハンドメイド~大きな手小さな手」第5回で作りました「数字のわかる時計をつくろう」好評につき、もう一度作りました(2014年4月15日更新)
http://houden.net/post/82768295709/

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上の画像は幼稚園の頃に作ったもの、もう3年前!みんな大きくなりました。

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好きな素材を選んでもらいます。

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完成!親御さんと一緒に作った子、一人参加でわたしが少しだけお手伝いしつつ作った子、みんなそれぞれユニークに仕上がりました◎ちゃんと動くのでお家で使ってみて下さい。

つげ義春トリビュート展 第3弾「続・拝啓つげ義春様」(雑誌「アックス」編)

11/25~12/10@ビリケンギャラリーにて【つげ義春トリビュート展 第3弾「続・拝啓つげ義春様」(雑誌「アックス」編)】に参加させていただきます。→ http://kogeisha02event.sblo.jp/article/181525991.html

わたしは、紅い花の「キクチサヨコ」をモチーフに、水彩・アクリルガッシュ、版画作品を制作しました。それから、トリビュート漫画「東京のアヌーシュカ」新作[ ANOUCHKAS ZINE No.3 ]を出品中です。

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小さな絵「Sayoko」1

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大判版画「Sayoko」2

4. 新作あぬーしゅか・ジン3「Anouchkas ZINE No.3」

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トリビュート漫画「東京のアヌーシュカ」8ページ+読み物2ページ、計12ページのリソグラフ印刷 ZINEです、50部限定、エディション・ナンバー入りです。

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よろしくお願いいたします。

5. 堀さんの一輪挿し

京都のnowakiさんで購入しました、堀道広さんの作品が届きました。漆塗りの一輪挿しです。DMで拝見した時からいいなと思っていました。シルエットが十字架にも見えるんですよ、わたしの部屋の小さなお守りとして飾らせてもらっています。いくつか花を生けてみました。

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1. 撮影の為に用意したオレンジ色のデイジー(長)。

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2. デイジーの茎を少しカットしたもの(短)。

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3. 南天の実(多)

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4. 南天の実(少)

やはり和風なテイストで小さなものが良く合います。お正月にも新しい南天の実を少しだけ飾ってみようと思っています。

今日はここまで。

池田 ハル プロフィール

福岡生まれ。セツ・モードセミナー卒業後、古着屋店長、デザイナーなどを経てフリーランス。漫画家・アーティスト・イラストレーターとして女の子の企画を中心に活動中。2017年漫画「裸のアヌーシュカ」を上梓。ハンドメイド好きな一児の母親でもある。
「小さな手が大きくなるまで一緒に手作りできたらいいなぁ♪」

HALNOTE.COM
http://www.halnote.com

「愛と戦いの船」第4話 まどの一哉

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民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

【まどの一哉 】
1956年生、大阪府出身。美学校絵文字工房(講師・赤瀬川原平)卒。
1976年、月刊漫画『ガロ』12月号にて「運命の男」でデビュー。その後『クイック・ジャパン』『アックス』『電脳マヴォ』等で作品を発表。

まどの一哉「絵空事ノート」http://esoragoto.iga-log.com/
「電脳マヴォ」公式サイト http://mavo.takekuma.jp/

著書として『洞窟ゲーム』『世の終わりのためのお伽噺』(青林工藝舎)、『西遊記』(ワイズ出版)がある。

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「放電ファミリーと横丁の人々」第28回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロの非ほのぼの系ファミリー4コマ。 毎月第4仏滅(たまに第2仏滅も)更新!

「放電ファミリーと横丁の人々」第28回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロ プロフィール

1976年高知県いの町生まれ。 2000年、ヤングチャンピオン(秋田書店)増刊号にて4コママンガ「ミドル未熟児」でマンガ家デビュー。

2004年より高知新聞夕刊にて、地元の方言である土佐弁を使った4コママンガ「きんこん土佐日記」を連載中。 主に4コママンガ、ショートマンガ、イラスト、キャラクター作成などで活動。 ワークショップやトークイベントにもたまに参加。定期的に個展を開いている。
webサイトhttp://masahiromuraoka.net

「放電ファミリーと横丁の人々」第29回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロの非ほのぼの系ファミリー4コマ。 毎月第4仏滅(たまに第2仏滅も)更新!

「放電ファミリーと横丁の人々」第29回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロ プロフィール

1976年高知県いの町生まれ。 2000年、ヤングチャンピオン(秋田書店)増刊号にて4コママンガ「ミドル未熟児」でマンガ家デビュー。

2004年より高知新聞夕刊にて、地元の方言である土佐弁を使った4コママンガ「きんこん土佐日記」を連載中。 主に4コママンガ、ショートマンガ、イラスト、キャラクター作成などで活動。 ワークショップやトークイベントにもたまに参加。定期的に個展を開いている。
webサイトhttp://masahiromuraoka.net

「放電ファミリーと横丁の人々」第30回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロの非ほのぼの系ファミリー4コマ。 毎月第4仏滅(たまに第2仏滅も)更新!

「放電ファミリーと横丁の人々」第30回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロ プロフィール

1976年高知県いの町生まれ。 2000年、ヤングチャンピオン(秋田書店)増刊号にて4コママンガ「ミドル未熟児」でマンガ家デビュー。

2004年より高知新聞夕刊にて、地元の方言である土佐弁を使った4コママンガ「きんこん土佐日記」を連載中。 主に4コママンガ、ショートマンガ、イラスト、キャラクター作成などで活動。 ワークショップやトークイベントにもたまに参加。定期的に個展を開いている。
webサイトhttp://masahiromuraoka.net

「愛と戦いの船」第5話 まどの一哉

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民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

【まどの一哉 】
1956年生、大阪府出身。美学校絵文字工房(講師・赤瀬川原平)卒。
1976年、月刊漫画『ガロ』12月号にて「運命の男」でデビュー。その後『クイック・ジャパン』『アックス』『電脳マヴォ』等で作品を発表。

まどの一哉「絵空事ノート」http://esoragoto.iga-log.com/
「電脳マヴォ」公式サイト http://mavo.takekuma.jp/

著書として『洞窟ゲーム』『世の終わりのためのお伽噺』(青林工藝舎)、『西遊記』(ワイズ出版)がある。

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「流れる雲のように」 第19話 末井昭

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高校卒業し出版界に入るまでの苦悩と葛藤を描いた連載小説! 挿画/東陽片岡

「流れる雲のように」 第19話 末井昭

19. 去年マリエンバートで

清風書房と東京三世社の仕事をしながら、クラウンの看板もときどき描いていたのですが、結構忙しくなったので看板からはだんだんフェードアウトしていきました。

そんなとき、作画会に勤めていたころ、僕の訳のわからないデザイン論に耳を傾けてくれた吉本さんから電話がありました。作画会を辞めてデザイン事務所を始めるから、僕に手伝って欲しいと言うのです。

作画会のころ、私的な話ができるのは近松さんと吉本さんだけでした。営業担当の吉本さんと一緒にときどきクライアントのところへ打ち合わせに行くときがあり、そういうときは心が弾んだものです。打ち合わせが終わるとまっすぐ会社には帰らず、喫茶店やレストランに入って食事や飲み物をご馳走してくれて、僕の話を聞いてくれました。

僕は調子に乗って、母親がダイナマイト心中した話を何度も何度もしたら、さすがにあきれたのか「それがスエイくんの売り物なんだね」と言われ、「売り物」という言葉に傷ついて、それから少し吉本さんと距離を置くようになっていました。

吉本さんのデザイン事務所は四谷にありました。久し振りに会う吉本さんは、文学者のような風貌も落ち着いた話し方も前のままで、しいて言えば、前より明るくなったような感じがしました。事務所の名前はDIGにしたそうで、そのロゴタイプを作ることが僕の初仕事になりました。

それからときどき、吉本さんの事務所で仕事をするようになりました。吉本さんはデザインもできたので、自分で取ってきた仕事を自分でデザインし、忙しいときは僕が手伝っていました。

僕がやった仕事で印象に残っているのは、芸能プロダクションのロゴとマークの制作でした。いまは誰でも知っている大手の芸能プロダクションですが、当時は目黒にある狭いビルの一室にありました。この仕事は僕の友人を介して頼まれたものだったので、僕がロゴタイプとレコードをイメージしたマークを作り、その芸能プロダクションに持って行きました。

ドアを開けると、机の上に足を上げて雑誌を読んでいるスーツを着た男の人がいて、僕が「こんにちわ」と言って入るとこっちをチラッと見ましたが、足を降ろそうとはしませんでした。ガラの悪いところに来たと思いました。

事情を話して、その人にマークとロゴのデザインを見せると、いいも悪いも言わず「いくら?」と聞かれました。前もって吉本さんに「いくらぐらいですかね?」と相談したら、「30万円かな」と言っていたので、「30万円でお願いします」と言うと、「たっけぇなぁ~」と言ったきり、デザインを放り投げるように机に置きました。

そのあとの交渉は後日吉本さんにやってもらったので、いくらだったかは覚えていませんが、そのデザインは採用されたようで、その芸能事務所が大きくなるにつれ、僕が作ったロゴとマークをいろんなところで見かけるようになりました。僕は自慢げに「あれ、僕が作ったんだよ」と人に言ったりしました(現在はロゴもマークも新しいものに変更されています)。

吉本さんの事務所に机を置いて、自分の仕事もしていいことになっていたので、だんだんとDIGにいる時間が多くなりました。

あるとき、夜遅くまで仕事をしていると、吉本さんの奥さんが差し入れを持って来てくれました。奥さんと会うのはこのときが初めてでした。40歳前後の綺麗な人で出版社に勤めているようでした。

またあるときは、派手な感じの水商売風の若い女性が、差し入れを持って来ることがありました。吉本さんは何も話してくれなかったのですが、僕はなんとなく吉本さんの愛人じゃないかと思っていました。

DIGは自由な社風でした(といっても、社長と嘱託社員の僕がいるだけですが)。出入りも自由、自分の仕事をしても自由、歌を歌っても自由、ということで、僕はときどきギターを弾いてフォークソングを歌っていました。僕の歌を喜んで聴いてくれたのが吉本さんの奥さんで、僕は奥さんが来るのが待ち遠しく思うようになりました。

その日も遅くまで仕事をしていたら奥さんが来たので、泉谷しげるの「春夏秋冬」を歌いました。吉本さんは出かけていて2人っきりでした。僕が歌い終わったら、奥さんが「飲みに行かない?」と言いました。

僕はもともとお酒が飲めませんでした。ところが、清風書房の尾上さんに打ち合わせと称して飲みに連れて行かれるようになり、少しは飲めるようになっていました。

奥さんが連れて行ってくれたのは、高円寺の線路下の小さな店が連なる飲み屋街でした。吉本さん夫妻は高円寺に住んでいて、奥さんはよくそのあたりで飲んでいるようで、2、3軒ハシゴしたのですが、どの店のマスターも奥さんのことを知っていました。

少しは飲めるようになってはいた僕ですが、奥さんのほうがお酒は断然強く、僕が先に酔いつぶれてしまいました。奥さんが「うちへ来る?」と言うので、奥さんに支えられながらふらふら歩いて、吉本さんたちのアパートに行きました。

アパートは木造2階建てで、吉本さんたちの部屋は2階の一番奥にありました。吉本さんはまだ帰っていないようで、僕は2間続きの奥の部屋に布団を敷いてもらって横になりました。しばらくすると、痩せた体に薄いブルーのネグリジェを着た奥さんが立っていて、電灯を消して僕の上に覆いかぶさりました。そしてそのまま、奥さんが上になってセックスをしました。

季節は初秋でした。窓から月明かりが入り、その月明かりに照らされた奥さんの顔がすごくエロチックに見えました。

セックスが終わって裸のまま抱き合っていると、アパートの鉄階段をゆっくり2階に上がってくる靴音がカンカンカンと響いてきました。奥さんはハッとした顔になり、「今日は帰って来ないはずなのに」と独り言のように言いました。

奥さんは起き上がって慌てて服を着ました。玄関のドアが開いた音がしました。奥さんは玄関のほうの部屋に行き、僕がいる部屋の襖を閉めました。

吉本さんは入って来るとき僕の靴を見たはずで、誰か男が来ていることはわかったはずです。僕はこれからどうなるかを考えると、心臓の動きが早くなりが胸が苦しくなりました。一瞬窓から飛び降りようかと思いましたが、怪我をするのがオチです。もうどうにでもなれという気持ちになり、裸のまま布団を被っていました。

隣の部屋で言い争いが始まりました。「あなたが悪いのよ」「あなたはあの人のところに行けばいいのよ!」と奥さんが叫んでいるので、やはり吉本さんに愛人ができたようでした。奥さんの泣き声も聞こえてきました。

しばらくして襖が開いて人が入ってきました。たぶん吉本さんです。僕は緊張して、胎児のように布団の中で丸くなっていました。

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イラスト: 東陽片岡

突然布団がめくられました。吉本さんが立ったまま上から僕を見下ろしています。僕と目が合うと、ゆっくり「君か」と言いました。そして部屋から出ていきました。その「君か」という一言が、僕の胸にズシンと突き刺さりました。

鉄階段を降りる靴音がカンカンカンと響いて来ました。吉本さんが出て行ったのです。しばらくして奥さんが僕がいる部屋に入って来たので、今度は僕が上になってセックスしました

僕はそのまま寝てしまったようで、目が覚めると外は明るくなっていました。奥さんはキッチンで食事の支度をしているようでした。

奥さんが作ってくれた朝食を食べ、ぼんやり妻にどう言い訳しようかと考えていました。奥さんは「あなたの全部が欲しいわけじゃないのよ。一部だけでいいの」と言いました。一部ってなんだろう、ときどき会ってセックスすることなのだろうかと思いましたが、奥さんには言えませんでした。

電話が鳴りました。吉本さんからで、僕に替わってくれと言っているようです。

僕が電話に出ると、吉本さんは僕が居座るのではないかと思ったようで、「そこは僕たちが住んでる部屋だから、とにかく君は出て行ってくれないか」と言いました。もっともなことです。そう言われて、自分がどんなに厚かましい人間なのだろうかと思いました。

吉本さんに会わせる顔がないので、その日からDIGには行かなくなり、吉本さんとは会っていません。ところが、不思議と町で吉本さんを見かけることがたびたびあり、僕はそのたびに物陰に隠れていました。

奥さんとは1回だけ映画を観に行きました。奥さんに誘われて、中央線にあるどこかの大学の学園祭で、アラン・レネの「去年マリエンバートで」を観ました。そのときはものすごく疲れていて、映画の途中でグッスリ眠ってしまいました。目が覚めたとき、奥さんに気づかれなかったか心配でした。映画のあとお茶を飲んで話をして、それから一度も会っていません。

何年か経って、映画館で「去年マリエンバートで」を観ました。月明かりに照らされたあのときの奥さんの顔が思い出されて、センチメンタルな気持ちになりました。

「放電ファミリーと横丁の人々」第31回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロの非ほのぼの系ファミリー4コマ。 毎月第4仏滅(たまに第2仏滅も)更新!

「放電ファミリーと横丁の人々」第31回 村岡マサヒロ

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村岡マサヒロ プロフィール

1976年高知県いの町生まれ。 2000年、ヤングチャンピオン(秋田書店)増刊号にて4コママンガ「ミドル未熟児」でマンガ家デビュー。

2004年より高知新聞夕刊にて、地元の方言である土佐弁を使った4コママンガ「きんこん土佐日記」を連載中。 主に4コママンガ、ショートマンガ、イラスト、キャラクター作成などで活動。 ワークショップやトークイベントにもたまに参加。定期的に個展を開いている。
webサイトhttp://masahiromuraoka.net

「愛と戦いの船」第6話 まどの一哉

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民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

民主海軍の無人機が多摩湖に落とされ、ゼンマイ式潜水艇コクーゾーが出動!

【まどの一哉 】
1956年生、大阪府出身。美学校絵文字工房(講師・赤瀬川原平)卒。
1976年、月刊漫画『ガロ』12月号にて「運命の男」でデビュー。その後『クイック・ジャパン』『アックス』『電脳マヴォ』等で作品を発表。

まどの一哉「絵空事ノート」http://esoragoto.iga-log.com/
「電脳マヴォ」公式サイト http://mavo.takekuma.jp/

著書として『洞窟ゲーム』『世の終わりのためのお伽噺』(青林工藝舎)、『西遊記』(ワイズ出版)がある。

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