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「流れる雲のように」 第6話 末井昭

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高校卒業し出版界に入るまでの苦悩と葛藤を描いた連載小説! 挿画/東陽片岡

「流れる雲のように」 第6話 末井昭

6. 電気ストーブとセックス

季節は冬になりかけていました。牛乳配達のとき、風が冷たくて顔がこわばります。牛乳配達が終わると工場に行き、冷暖房完備の精密検査室でウトウトし、工場が終わると町を歩き廻ったり、多摩川の土手に行ってみたりして時間をつぶしていました。窓なし三畳間に帰ると気持ちが落ち込むので、なかなか帰れないのです。

玄関横の窓が2つある部屋に住んでいる女の人とは、ときどき顔を合わせていました。20歳ぐらいの綺麗な人で、友達になりたかったのですが、僕は女の人に対して強度のコンプレックスがあったので、話しかけることもできませんでした。三畳間でオナニーなどしていると、ときどき無性に侘しくなることがあって、女の人であればどんな人でもいいから仲良くなりたいと思ったりするのですが、もう一人の自分が「おまえの顔は女と付き合えるような顔じゃねぇよ」と嘲笑います。

ある日、銭湯から帰ってくると、その女の人の部屋に誰か来ていました。玄関に男物の靴があったので、それが男の人だということがわかりました。どんな人が来ているのか気になりながら、三畳間の押し入れに敷いている布団にもぐり込みました。牛乳配達で朝4時に起きないといけないので早く眠りたいのですが、かすかに聞こえてくる2人の会話が気になって仕方がありません。気持ちがザワザワして寝つけないのです。

何を話しているんだろう、恋人なのかなぁ、ひょっとしてセックスなんかしてるのかなぁ、とか想像していると、ますます目が冴えてきます。なかなか帰らないので、嫌がらせのように障子をピシャっと閉め、わざと大きな足音をたててトイレに行ったりしていました。

男の人はときどき来ていました。来ると僕はイライラするので、帰ってきたとき玄関に靴がないとホッとしました。

ある日、男の人が来ていたので、いつものように三畳間でイライラしていたら、金槌でトントン叩く音が聞こえました。僕が住むようになったので、入ってこられないように襖に鍵をつけているようです。その鍵の対象が僕だと思うと、なんだかイヤな気分になってきて、襖なんて蹴飛ばせば簡単に外れてしまうぞと言ってやりたくなりました。チマチマ鍵なんかつけたって、そんなものいざとなればなんの役にも立たないのです。まぁ、僕がいざとなるようなことはなかったと思いますが。

本格的に寒くなり、暖房がないと過ごせなくなったので、電器店で小さな電気ストーブを買ってきました。三畳間に持って帰り、その電器ストーブのスイッチを入れたら、パチンとヒューズが飛びました。家中真っ暗です。

家主のお婆さんが懐中電灯を持って僕の部屋の障子を開け、「どうしたんですか?」と怖い顔で言います。電気ストーブのスイッチを入れたと言うと、「電気ストーブは電気を食いますからねぇ」と、まるで僕が犯人のように言います。確かにヒューズが飛んだのは電気ストーブのスイッチを入れたからですが、500ワットぐらいの小さなものです。僕が帰ってくる前にお婆さんも女の人も電気コタツを使っているので、すでに電気の容量がいっぱいいっぱいになっていたはずです。遅く帰っただけで犯人にさせられるのはたまったものじゃないとか思いながらも、お婆さんが懐中電灯を照らす中でヒューズを交換しました。

すると、角部屋の襖が開いて女の人が出てきました。僕がまた電気ストーブをつけてヒューズが飛んだら困ると思ったのか、「私の部屋にコタツがあるから来ませんか?」と言うのです。僕は「えっ、いいんですか?」と遠慮がちに言いながらも、図々しくその女の人の部屋に入り、一緒に電気コタツに入りました。コタツというものは、他人同士が急に仲良くなれるものなんですね。人見知りする僕でもいろんな話ができました。

その人はM子さんといい、僕より1つ年上でした。中学を卒業して田舎から東京に出てきて、東芝の工場で働いていました。僕と同じ工員です。僕より2ヵ月前にここに引っ越してきたそうです。

ときどき来る男の人が気になっていたので、「あの人どういう人?」と聞いたら、前に住んでいたアパートの隣の部屋に住んでいた人で、「お兄さん」と呼んでいるそうです。そのお兄さんが、アパートは独身男ばかり住んでいるので何かあるといけないから、お婆さんしかいない一軒家なら安全だと思って、この部屋を探してくれたそうです。まさか、お婆さんが他の部屋も貸すとはそのとき思わなかったのでしょう。襖を見ると3箇所に小さなヒートンがくっついていました。出入りするドアにも鍵がついていました。この前トントンやっていたときつけたものです。突然僕がここに引っ越してきたので、お兄さんが慌てた様子がよくわかります。

僕は人見知りはするしコンプレックスもありましたが、厚かましいところがあって、その夜は朝までその部屋にいて、明け方セックスまでしてしまいました(強姦じゃないですよ)。初めてのセックスだったのですが、わりとうまくいったような気がします。女の人の体って暖かいと思いました。そして、セックスってこんなに気持ちのいいものかと思いました。これもみな、電気ストーブのおかげです。

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イラスト: 東陽片岡

その後、M子さんとときどきデートするようになり、僕の心はウツウツからウキウキに変わりました。念願の恋人誕生です。ときにはM子さんの友達の女の子も誘って、川崎のスケートリンクに行ったり、渋谷に踊りに行ったりすることもありました。

その間にもお兄さんは来ていましたが、お兄さんが来るとイライラするので外に出ていました。行くところがないので父親のアパートに行ってドアを開けると、田舎から呼び寄せた母親とセックスの最中だったりして。僕が急にドアを開けたものだから2人は飛びのいて、父親は「昭か? なんじゃ」とか言いながら、裸でオロオロしていました。取り込み中だったので入ることもできず、そのままドアを閉めて逃げるようにアパートを出ました。

どこにも行くところがないし寒いしで三畳間に戻ると、お兄さんはまだいます。2人の会話に聞き耳を立てていると、前にも増してイライラした気持ちになってきます。お兄さんが帰ると、すかさずM子さんの部屋に行きます。あの男と別れて欲しいと言うと、そんなことは言えないと言います。M子さんと付き合うようになり、僕は孤独ではなくなったのですが、三角関係状態なので、気持ちはモヤモヤするばかりです。

そのうちお兄さんに僕とのことを感づかれてしまい、僕とM子さんは多摩川の土手に呼び出されました。お兄さんと初めての対面です。というか対決する気持ちでいました。緊張で心臓が締めつけられるようでした。

M子さんと2人でガス橋横の多摩川の土手に行くと、お兄さんは自転車で先に来ていました。僕より背が低いズングリした中年の人だったので、喧嘩したら勝てると思いました。多摩川で決闘するつもりでいたのですが、相手は殴りかかってくる気配もなく、土手に座って話し始めました。

多摩川の川向こうにその人が勤めるキャノンの工場がありました。工場というよりオフィスビルのような近代的な建物で、その人はその建物を誇らしげに見ながら「あんたには生活力はあるのか?」と言い出しました。いきなり経済の話です。要するにM子さんを養えるかということです。確かに経済力はなかったのですが、「ない」と正直に言うと負けると思って、「ある」と言ってしまいました。そのあとお兄さんは、M子さんとはだいぶ前から付き合っていること、あの部屋も自分が借りたこと、M子さんと結婚するつもりでいるというようなことを言っていましたが、僕は終始黙っていました。今度はM子さんに、「どっちを選ぶんだ」と言います。「どっちを選ぶって言われても…」とM子さんは困っているようでしたが、「私にはわからない。2人で決めて」とズッコケたようなことを言います。僕は自分が選ばれると思っていたのでガックリしました。

多摩川での対決は、何も結論が出ないまま、寒くなってきたので解散になりました。向こうは1人で帰って行き、僕らは2人で同じ家に帰って行きます。僕は「勝った」と思いました。同じ屋根の下で暮らす方の勝ちです。


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