船橋さん、根本さん、湯浅さん、初めまして。
この度、私が(私は)(注1)、以下(注2)に(下の文章中の、ある文頭の始めである)ここより から始まるところです。)、人の視線についての相談(文)ではないのですが、人の視線についての質問文と、それ(換言すると「これ」)に付随する(注3)数問の質問を、合わせて長文だと思いますが(注4)、記します(注5)。(注6)全ての、人の視線についての質問それぞれに、皆様のお答えを頂戴できますと幸いです。
(詳しくは、その(換言すると「この」)、人の視線についての質問文と数問の質問を皆様にお読みいただき、ご理解いただきますようお願い申し上げます。)(注7)
何卒よろしくお願い申し上げます。
そして、以下の文章 (「下記」と言い換えても意味に差はないです。)が、人の視線についての質問文と、それ(換言すると「これ」)に付随する(注3)数問の質問です。(←あってもなくても全体の内容には影響を与えない一文だと思います。)(注8)
私は(私が)(注1)、ここより下の方に(「(ここより)以下に」と言い換えることができると思いますし、意味は同じ、と思って頂ければ幸いです。) 、私が、(注1)自分、他人を含めた人が(注9)複数(注10)いる、街中や電車内、その他といった状況での、人が他人に向ける視線について、疑問(①)と、こうなのでは?(②~⑥)と思う(注11)ことを挙げています。
その(換言すると「この」)、①~⑥が、自分、他人を含めた人が(注9)複数(注10)いる、街中や電車内、その他といった状況での、人が他人に向ける視線について、私が(注1)思う(注11)こと(である)、ということを皆様に踏まえいただいた上で、その(換言すると「この」)、①~⑥のそれぞれについて、皆様のご意見を賜れれば(注12)(各人それぞれではなくとも、最低限、①~⑥(注13)のそれぞれについて、ご意見を賜れれば(注12))ありがたく存じます(注14)。
また、①~⑥(注13)の一つ一つについて(注15)、各人のご意見をそれぞれ賜れれば(注12)、よりありがたく存じます(注14)が、①~⑥(注13)の一つ一つについて(注15)、各人のご意見をそれぞれ賜る(注12)ことが難しくとも、前述のように、①~⑥(注13)のそれぞれについて、皆様のご意見を賜れれば(注12)(各人それぞれではなくとも、最低限、①~⑥(注13)のそれぞれについて、ご意見を賜れれば(注12))ありがたく存じます(注14)。
上記中で二度使用している「最低限」という言葉は、上記の中で正しい使い方か分かりませんし、皆様に対しての使い方としても、微妙なところかも知れませんが、どちらも、「なんとか、①~⑥(注13)のそれぞれについて、皆様から、各人それぞれではなくとも、ご意見を賜りたい」という意味で使わせていただきました(ます)。
① ほとんどの人はある程度、他人の視線が気になるものでしょうか?
② 大抵の人はほとんどの他人を、ずっと、あるいは、いちいち、見ていないのでは?
③ ②は、大抵の人はほとんどの他人を、ほぼ気にしていないのでは?、とおおよそ同じ意味なのでは?
④ たまに他人の視線に悪意があるのでは?と思ってしまうが、それは考えすぎで、実際そんなことはまあまずないのでは?
⑤ 他者が数多く(あるいは少数でも)いる場合、大抵の人にとってほとんどの他者が視界に入るのは仕方がないのでは?(不可抗力みたいな?)
⑥ とは言えそのとき(⑤)、視界に入っているほとんどの人に何とも思っていないことがほとんどなのでは?
(注1)
「私が(私は)」、「私は(私が)」、「私が」、「私が」と記している理由は、それぞれ、その後の文章を「記す」、「挙げる」、「思う」、「思う」人物が「私」であるということを皆様にご理解いただく為です。とは言え、「私が(私は)」と「私は(私が)」はなくても、「その後の文章を記す人物が「私」である」ということを、皆様に(は)ご理解頂けると思うので(特に、「私は(私が)」は、「私が(私は)」を(または「と」)先の方に記している為なくてもよい言葉かも知れない、と私は考え(てい)ます(自分で記しておいてなんですが))、それら(「私が(私は)」と「私は(私が)」)があってもなくても全体の内容は変わらないということを皆様に踏まえていただき、(「上の」または「上記」)①~⑥のそれぞれについて、皆様のご意見を賜れればありがたく存じます。
(注2)
「以下」は「下」と言い換えても意味に差はないと思いますし、全体の内容は変わらないと思います。
(注3)
「それ~付随する」の部分は、「人の視線に関する」と記して(言い換えて)も、全体の内容は変わらないと思います。
(注4)
「お読みになられて、長文に感じられるかもしれません。」という意味です。
実際、私自身は、多少そのように感じ(てい)るような気がします。
また、文章全体(「船橋さん」から「匿名でお願い致します。」まで)で、字数制限を越えていますが、それでもご意見を賜れるようなので、(この泥船人生相談に)送らせて頂きます。
(注5)
「記します」は「提示いたします」と記しても(言い換えても)、全体の内容は変わらないと思います。
(注6)
「この度~(注5)。」は「下記は、人の視線に関することで、皆様のご意見を賜りたいこといくつかと、それ(換言すると「これ」)に関すること、人の視線に関することで、皆様のご意見を賜りたい全てのことそれぞれについて、皆様のご意見を賜ることへのお願い、を含めたものです(文章全体(「船橋さん」から「匿名でお願い致します。」まで)で字数制限を越えていますが、それでもご意見を賜れるようなので、(この泥船人生相談に)送らせて頂きます)。」または、「以下は、人の視線に関することで、皆様のご意見を賜りたいこといくつかと、それ(換言すると「これ」)に関すること、人の視線に関することで、皆様のご意見を賜りたい全てのことそれぞれについて、皆様のご意見を賜ることへのお願い、を含めた文章です(文章全体(「船橋さん」から「匿名でお願い致します。」まで)で字数制限を越えますが、それでもご意見を賜れるようなので、(この泥船人生相談に)送らせて頂きます)。」と言い換えても意味に差はないと思いますし、全体の内容は変わらないと思います。
(注7)
「全ての、人の視線に~げます。)」は「人の視線に関することで、皆様のご意見を賜りたいこと全てに皆様のご意見を賜れればありがたく存じます。
(詳しくは下記(人の視線に関して皆様のご意見を賜りたいこと全てと、その他諸々を含む文章)を皆様にお読みいただき、ご理解いただきますようお願い申し上げます。)」と言い換えることができると思います。
(注8)
「そして~います。)」は「そして、下記が人の視線に関して、皆様のご意見を賜りたいこと全てと、その他諸々を含む文章です。(←全体の内容には影響を与えない一文だと思います。)」と言い換えることができると思います。
(注9)
「が」であれ、「の」であれ、文全体の内容は変わらないと思います。
(注10)
「自分、他人を含めた人が(注9)複数」は、同じ意味、または、ほぼ同じ意味として、「自分、他人(不特定多数)を含めた人が」または「自分、他人を含めた不特定多数の人が」または「複数の人が」または「不特定多数の人が」または「不特定多数の人(自分、他人を含めた)が」または「複数の人(年齢も性別もバラバラ(の))が」または「複数の人(自分、他人(人数も年齢も性別もバラバラ(の))が」または「自分、他人(一人以上)を含めた人が」または「自分、他人を含めた人が」または「自分、他人(人数も年齢も性別もバラバラ(の))を含めた人が」または「自分、他人(人数も年齢も性別もバラバラ(の))を含めた複数の人が」または「あらゆる人が」または「自分、他人を含めた人が複数人」または「自分、他人を含めた人が数人」または「自分、他人を含めた人が複数」または「自分、他人(人数も年齢も性別もバラバラ(の))を含めた人が複数人」または「自分、その他の全ての人、を含めた人」または「自分、他人(人数も年齢も性別もバラバラ(の))を含めた人が数人」または「自分、他人(人数も年齢も性別もバラバラ(の))を含めた人が複数」または「複数の、あらゆる人が」または「自分、他人を含めた複数の人が」または「人(全ての人、を含めた「人」という意味)が複数」または「自分、他人(年齢も性別もバラバラ(の)を含めた人が複数」と言い換えることがきる(かも、)と思います(「思っています」と記しても同じ意味だということを皆様に踏まえていただき、(「上の」または「上記」)①~⑥のそれぞれについて、皆様のご意見を賜れればありがたく存じます。)し、正直、私としては、どの表記であっても同じ
意味だと考えます(「考えています」と記しても全体の内容は変わらないです)。
そして、どれも(ほぼ)同じ意味だということを、皆様に踏まえていただき、(「上の」または「上記」)①~⑥のそれぞれのついて、皆様のご意見を賜れればありがたく存じます。
(注11)
「思う」は「思っている」と記しても、(私は)同じ意味だと思っています。また、全体の内容は変わらないと思っています。そして、どちらでも同じ意味である、ということを皆様に踏まえていただき、(「上の」または「上記」)①~⑥のそれぞれのついて、皆様のご意見を賜れればありがたく存じます。
(注12)
「賜れれば」は「お伺いできると」または「お伺いできますと」と、「賜る」は「お伺いする」と、(それぞれ)換言できると思います。また、完全に意味が同じではなくとも、全体の内容は変わらないと思います。
(注13)
「①~⑥」は「その(換言すると「この」)、①~⑥」と記して(言い換えて)も全体の内容は変わらないと思います。
(注14)
「ご意見~存じます」は、「お考えを書き示していただけると幸いです」と言い換えることができるかも知れません。また、一番目と三番目の文末である「ありがたく存じます」は「幸いに存じます」と言い換えることができると思いますし、二番目の文末である「よりありがたく存じます」は「幸甚に存じます」と、記してもよいかも知れません。
(注15)
(「①~⑥の一つ一つについて」は「①~⑥一つ一つについて」と言い換えることができると思います。
上の(注1)~(注15)(「上記(注1)~(注15)」と記しても指しているもの((注1)~(注15))は同じです)までのそれぞれの文末を「と思います。」、「ようにも思います。」、「かも知れません。」、「る(かも、)と思います(「思っています」)」と記していますが、私自身としては、正直、それら(換言すると「これら」)は(を)全て「です。」、「です」(ものによっては「ます」)と記しても良いと思っています((注13)は、(私自身としては、)言い換えて(も)、全体の内容に影響を及ぼさないと断言できるか、正直、(他((注13)以外の全ての(注))と比べて)自信があまりないので、文末(「と思います。」)を「です。」とは言い切りません。)。ただ、端から見て「違う場合もあるのでは?」ということを考えて、「と思います。」、「ようにも思います。」、「かも知れません。」、「る(かも、)と思います(「思っています」)」と記しています(「記します」と記しても全体の内容は変わらないと思います)。
また、(注6)、(注7)、(注8)はそれぞれ、セットでないと言い換えはできないと思います。
上記中の「良いと思っています」は「良いと思います」と記しても、全体の内容は変わりません。
文章全体の中で、以下の例(文)のようなものをいくつか記しています。
例(文): 「○○(換言すると「△△」)」。
そして、文章全体の中で、上の例(文)のようなものをいくつか記しています。
それら全て「○○を言い換えると、△△になる」ということを示しています。
このように説明をしなくとも、皆様に(は)ご理解いただけると思いますが、念のため、(このように)説明を記しています。
文章全体の中で使っている単語(言葉)は、ニュアンスで使っている部分があるので、適した表現、適した使い方ではないかも知れず、(私の)至らない点だと思います(「そこはご了承願います」といってもよいかも、と思っています)。
また、文章全体の中で使用している「この」「その」と「これ」「それ」は、それぞれ隣同士、同じものを指しています。
また、文章全体の中で記している、「思います」や「思う」、「記しています」、「記します」、その他、といった思考や行動の主語のほとんどは「私です」。
皆様を主語として捉えて記している思考や行動は、主語を「皆様」と記しています。
また、上の方に記している「自分、他人(人数も年齢も性別もバラバラの)を含めた人(注9)が(注10)いる、街中や電車内、その他といった状況」が「日本だけでなく他の国、地域も含まれている」ということを皆様にご理解いただき(多分、既に皆様にはご理解いただき、(「上の」または「上記」)①~⑥のそれぞれについて、ご意見を下さっているかも知れませんが)、(「上の」または「上記」)①~⑥のそれぞれについて、皆様のご意見を賜れればありがたく存じます。
名前は掲載時、匿名でお願い致します。
人間ほど恐ろしいものはない、人間にとって。天変地異も恐ろしいけれど、それは人間の力ではいかんともしがたい自然現象ゆえ、来たら来た、起こったら起こったで諦めるほかない。彼方よりの使者は遠ざけたいと願うのみ。災いをもたらす最たる存在は人間にとどめを刺す。
人間=他者への恐怖の感情から礼儀っつうもんが生まれたんでしょう。無益な争いを避けるために。
あなたは他の人の視線を気にしてるようだが、当然です、まっとうです。目は口ほどに物を言う、目は心の鏡といわれるように、両のちっちゃいまなこが放つ威力、情報は強く端的なので、管理、運用は慎重を旨としたい。ガンをつけた、つけられたで刃傷沙汰に及ぶケースは稀じゃない。にらみはうらみを買う。とはいえ、やたら神経質にならないで。眼筋異常などの特徴がなければ、トラブルを招きかねないほどの悪い目つきにはそうそうなるもんじゃないから。
目をつぶればよい。解決法は簡単だ。瞼を閉じっぱなしじゃ外出不可能、さりとてミラーや濃色のサングラスをかけるのもいただけない。足元おぼつかないし、ルクスならぬルックスをそこねてからまれやすくなってしまう。進んで難の芽を付けるようなものだ。要は心の目をつぶれって話だが、それができれば相談なんぞしないよな。完全なシャットアウトが無理でも、それに近い効果は発揮できる。でくのぼうに化けなさい。生気をなくしなさい。具体的にはうつむき加減を保つ。面を上げて視界に飛び込んできた者には、慌てて目をそむけたりせず、おでこをぼんやり眺めなさい。こうしていれば大丈夫。緊張、警戒のしすぎは逆効果、目性に支障をきたすので御用心。
しかし現今、不特定多数人の視線にさらされる状況はめったにないのでは? 例えば電車内。ほぼ全員がスマホとにらめっこしてるじゃないの。夢中になっている半面、側面、実は皆、木の葉隠れかかごぬけか、はたまた透明人間の術を駆使しているのだ。『わたしはここには居ませんよー、画面の奥ですよー、だから見ないでくださーい、こっちからも見ません、ほっといてくださーい』という無言のメッセージを発信しているのだ。小さな立方体の獄につながれた囚人とも見受けられよう。いつでもどこでも仕事ができ娯楽を享受できる文明の利器たるスマートフォンは、対人恐怖症時代にうってつけのツールでしょう。あなたもずいぶん利用してるはずです。ただし頼るのは静的な密閉空間にとどめるのが賢明だね。歩きながらは危険、誤って階段やホームから転落するかもしれないし、他人と肩がぶつかったり鉢合わせしたりしないとも限らない。さすればケンカに発展する可能性はガンつけの比じゃない、格段に高まる。TPOをわきまえて上手にスマホのバリアを張ってくださいな。
摩擦が火事を呼ぶこともある。周囲の他人様との距離を測り、注意を怠るなかれと自戒しつつ電車、バス等の公共交通機関に乗るのだが、お粗末な輩(スマホ・ユーザー)も散見される。一番目障りなのは足組んで坐ってる奴。「邪魔だ!」と怒鳴りつけたい衝動に駆られたこと一再ならず。目の前を横切る人や立つ人のさまたげになるばかりかズボンの裾を汚したり脛を突いたりしかねない。『深く腰かけて足は折りたため!』と接近遭遇するたびに思う。他人様とのいざこざを避けたいのなら、己れがその種にならぬよう極力配慮するはずだ。無神経に我がもの顔ででっぱり、せりだす異物に際すると、チェーンソーでスパッ、スパッと足首から下を切り落としたくなる。大目には見られない。
気後れが高じて鬱、出不精に陥り、せっかくのめぐりあいを逸するのはもったいない。矛盾するようだが、面と向かう現実は尊い。人と人とがしっかと見交わすことで始まり、広がり、深まる関係は決して少なくない。素敵な目がごろごろころがっているのも人の世の実相なのですよ。馬が合う、話が合うチャンスをはなから放棄するこたぁないのだ。虎視眈々とお宝を狙うスリや痴漢、海千山千、魑魅魍魎だけが一堂に会するわけじゃない。できる範囲でかまわない、訓練だと自らに言い聞かせ、積極的に他人にアプローチしてほしい、とも思います。
ハードルが高いとそっぽを向きなさんな。逆転の発想、視点を変えてみようや。アプローチされやすいよう心がけるのだ。情緒いかんで瞳孔の大きさは変化する。例えば上司のしつこい叱責にじっと耐えている時と裏ビデオに食いついている時とじゃ別物。瞳という字は目偏に童と書くように、本来は無心に見つめるものだけれど、齢を重ねるにつれてさまざまな心情、感情をまとって曇り、澱み、歪み、尖りといった具合に素の味を失ってしまう。エフェクターはどんどん複雑にハイブリッドになるとくるから始末が悪い。
元に戻れない以上、もっともいい年こいて無心に見つめたら気持ち悪がられるだけだろうけど、好まれるべく装うしかあるまい。目を湖とするなら澄んで穏やかな水面を保ちたい。飛び込みたい、泳ぎたいと他人に感じさせるように。自分の目ん玉が泳いじゃダメ、角を立てるのは論外。やわらかで優しく開かれたまなざし、この理想型は微笑むことで身に付く。かすかに微笑むだけでよろしい。瞳はパチンコ玉にもなれば受け皿にもなる。胸ひとつだよ。大事なのは、お・も・て・な・し。
外出時マスク必着となった新型コロナ・ウイルスの新時代。顔半分覆われることで目が担う役割は増大した。感情、思惑、人柄を判断する唯一無二のキー・ポイントといっても過言じゃない。髪型やら服装やらは些末なアイテムにすぎない。目の表情を整え、飾ることがますます求められると肝に銘じたい。口を隠してくれるマスクは微笑むには恰好の品。満面の笑みだと気味悪がられ避けられるか、「なめてんのか、この野郎!」と、いきなり殴られる危険性もあるけれど、両目だけの微笑みは好いたらしい。これで行きなさい。
一応ざっとご質問に答えておこう1.YES。2.YES/NO。気になる対象、とりわけ異性は美醜、好悪の観点でチェック、チラ見。3.YES/NO。皆が皆、居合わせた他人を気にする。実際のところね。セックス・アピールなるふるいに掛けるのが最優先と考えるが、ほとんど、否、すべての他人をずっと、いちいち見ていたいのが本音。ほとんどの他人をほぼ気にしてないふりをしてるだけ。すましているが、本当は舐め回すように見たいのだ。だって人間の顔ほどおもしろいモノはないんだから。少ないパーツより成る造作が現出させるヴァリエーションの豊富さは驚嘆の一語。面容は面妖とみた り。
それぞれの人間を何かに見立て、頭のなかでロール・プレイング・ゲームとくらぁ。きみも他人に見られたくない、見立てられたくないけれど、他人を見たい、見立てたいだろ? 役者は×、監督は○ってわけさ、皆が皆。その欲望を気取られないために取り繕っているが、見え見えなんだよ。
監督のお眼鏡に適わぬようやり過ごすことがきみの懸案だが、なに心配いらない。モヒカン刈りのヘア・スタイルやらマスクからはみ出すヒゲモジャやら政治色強いメッセージがプリントされたTシャツの露出やらと無縁ならエキストラ程度にしか扱われないでしょう。土台見えない寸劇なんだしねぇ。
己れに向かってくる過度な興味や攻撃性を帯びた視線をむやみにさぐるのは控えるべし。防衛本能がゲスの勘繰りとなり、かえって危険因子となってしまいます。監督志望ではなく役者も願い下げならば、書き割り然と居なされ。無為無策でよろしい。
4.NO。意趣返しの場合あり。こちらから向けるまなざしに要注意。5.YES。6.YES。
「ひと目あったその日から恋の花咲くこともある。見知らぬあなたと見知らぬあなたのデートをとりもつパンチDEデート」。往年のテレビ番組の冒頭の名調子もなつかしい。「あった」は「会った」ではなく「合った」だね。目は恋の発火点というのは本当。一瞬の視線のぶつかりで火花散り、身を焦がす。して、恋は盲目、粋なオチ。
とは申したものの目はスマホに奪われ、花も咲かなきゃ火花も散らぬ、か。今時の若い男女はマッチング・アプリとやらで出逢うのかしらん。不要不急の外出を禁じ、ステイ・ホームが要請される御時世、間近で目と目が合うリアルな機会は激減だ。サイは投げられた。行く末、どんな目が出るか。さて、きみはどう出る?