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「流れる雲のように」 第19話 末井昭

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高校卒業し出版界に入るまでの苦悩と葛藤を描いた連載小説! 挿画/東陽片岡

「流れる雲のように」 第19話 末井昭

19. 去年マリエンバートで

清風書房と東京三世社の仕事をしながら、クラウンの看板もときどき描いていたのですが、結構忙しくなったので看板からはだんだんフェードアウトしていきました。

そんなとき、作画会に勤めていたころ、僕の訳のわからないデザイン論に耳を傾けてくれた吉本さんから電話がありました。作画会を辞めてデザイン事務所を始めるから、僕に手伝って欲しいと言うのです。

作画会のころ、私的な話ができるのは近松さんと吉本さんだけでした。営業担当の吉本さんと一緒にときどきクライアントのところへ打ち合わせに行くときがあり、そういうときは心が弾んだものです。打ち合わせが終わるとまっすぐ会社には帰らず、喫茶店やレストランに入って食事や飲み物をご馳走してくれて、僕の話を聞いてくれました。

僕は調子に乗って、母親がダイナマイト心中した話を何度も何度もしたら、さすがにあきれたのか「それがスエイくんの売り物なんだね」と言われ、「売り物」という言葉に傷ついて、それから少し吉本さんと距離を置くようになっていました。

吉本さんのデザイン事務所は四谷にありました。久し振りに会う吉本さんは、文学者のような風貌も落ち着いた話し方も前のままで、しいて言えば、前より明るくなったような感じがしました。事務所の名前はDIGにしたそうで、そのロゴタイプを作ることが僕の初仕事になりました。

それからときどき、吉本さんの事務所で仕事をするようになりました。吉本さんはデザインもできたので、自分で取ってきた仕事を自分でデザインし、忙しいときは僕が手伝っていました。

僕がやった仕事で印象に残っているのは、芸能プロダクションのロゴとマークの制作でした。いまは誰でも知っている大手の芸能プロダクションですが、当時は目黒にある狭いビルの一室にありました。この仕事は僕の友人を介して頼まれたものだったので、僕がロゴタイプとレコードをイメージしたマークを作り、その芸能プロダクションに持って行きました。

ドアを開けると、机の上に足を上げて雑誌を読んでいるスーツを着た男の人がいて、僕が「こんにちわ」と言って入るとこっちをチラッと見ましたが、足を降ろそうとはしませんでした。ガラの悪いところに来たと思いました。

事情を話して、その人にマークとロゴのデザインを見せると、いいも悪いも言わず「いくら?」と聞かれました。前もって吉本さんに「いくらぐらいですかね?」と相談したら、「30万円かな」と言っていたので、「30万円でお願いします」と言うと、「たっけぇなぁ~」と言ったきり、デザインを放り投げるように机に置きました。

そのあとの交渉は後日吉本さんにやってもらったので、いくらだったかは覚えていませんが、そのデザインは採用されたようで、その芸能事務所が大きくなるにつれ、僕が作ったロゴとマークをいろんなところで見かけるようになりました。僕は自慢げに「あれ、僕が作ったんだよ」と人に言ったりしました(現在はロゴもマークも新しいものに変更されています)。

吉本さんの事務所に机を置いて、自分の仕事もしていいことになっていたので、だんだんとDIGにいる時間が多くなりました。

あるとき、夜遅くまで仕事をしていると、吉本さんの奥さんが差し入れを持って来てくれました。奥さんと会うのはこのときが初めてでした。40歳前後の綺麗な人で出版社に勤めているようでした。

またあるときは、派手な感じの水商売風の若い女性が、差し入れを持って来ることがありました。吉本さんは何も話してくれなかったのですが、僕はなんとなく吉本さんの愛人じゃないかと思っていました。

DIGは自由な社風でした(といっても、社長と嘱託社員の僕がいるだけですが)。出入りも自由、自分の仕事をしても自由、歌を歌っても自由、ということで、僕はときどきギターを弾いてフォークソングを歌っていました。僕の歌を喜んで聴いてくれたのが吉本さんの奥さんで、僕は奥さんが来るのが待ち遠しく思うようになりました。

その日も遅くまで仕事をしていたら奥さんが来たので、泉谷しげるの「春夏秋冬」を歌いました。吉本さんは出かけていて2人っきりでした。僕が歌い終わったら、奥さんが「飲みに行かない?」と言いました。

僕はもともとお酒が飲めませんでした。ところが、清風書房の尾上さんに打ち合わせと称して飲みに連れて行かれるようになり、少しは飲めるようになっていました。

奥さんが連れて行ってくれたのは、高円寺の線路下の小さな店が連なる飲み屋街でした。吉本さん夫妻は高円寺に住んでいて、奥さんはよくそのあたりで飲んでいるようで、2、3軒ハシゴしたのですが、どの店のマスターも奥さんのことを知っていました。

少しは飲めるようになってはいた僕ですが、奥さんのほうがお酒は断然強く、僕が先に酔いつぶれてしまいました。奥さんが「うちへ来る?」と言うので、奥さんに支えられながらふらふら歩いて、吉本さんたちのアパートに行きました。

アパートは木造2階建てで、吉本さんたちの部屋は2階の一番奥にありました。吉本さんはまだ帰っていないようで、僕は2間続きの奥の部屋に布団を敷いてもらって横になりました。しばらくすると、痩せた体に薄いブルーのネグリジェを着た奥さんが立っていて、電灯を消して僕の上に覆いかぶさりました。そしてそのまま、奥さんが上になってセックスをしました。

季節は初秋でした。窓から月明かりが入り、その月明かりに照らされた奥さんの顔がすごくエロチックに見えました。

セックスが終わって裸のまま抱き合っていると、アパートの鉄階段をゆっくり2階に上がってくる靴音がカンカンカンと響いてきました。奥さんはハッとした顔になり、「今日は帰って来ないはずなのに」と独り言のように言いました。

奥さんは起き上がって慌てて服を着ました。玄関のドアが開いた音がしました。奥さんは玄関のほうの部屋に行き、僕がいる部屋の襖を閉めました。

吉本さんは入って来るとき僕の靴を見たはずで、誰か男が来ていることはわかったはずです。僕はこれからどうなるかを考えると、心臓の動きが早くなりが胸が苦しくなりました。一瞬窓から飛び降りようかと思いましたが、怪我をするのがオチです。もうどうにでもなれという気持ちになり、裸のまま布団を被っていました。

隣の部屋で言い争いが始まりました。「あなたが悪いのよ」「あなたはあの人のところに行けばいいのよ!」と奥さんが叫んでいるので、やはり吉本さんに愛人ができたようでした。奥さんの泣き声も聞こえてきました。

しばらくして襖が開いて人が入ってきました。たぶん吉本さんです。僕は緊張して、胎児のように布団の中で丸くなっていました。

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イラスト: 東陽片岡

突然布団がめくられました。吉本さんが立ったまま上から僕を見下ろしています。僕と目が合うと、ゆっくり「君か」と言いました。そして部屋から出ていきました。その「君か」という一言が、僕の胸にズシンと突き刺さりました。

鉄階段を降りる靴音がカンカンカンと響いて来ました。吉本さんが出て行ったのです。しばらくして奥さんが僕がいる部屋に入って来たので、今度は僕が上になってセックスしました

僕はそのまま寝てしまったようで、目が覚めると外は明るくなっていました。奥さんはキッチンで食事の支度をしているようでした。

奥さんが作ってくれた朝食を食べ、ぼんやり妻にどう言い訳しようかと考えていました。奥さんは「あなたの全部が欲しいわけじゃないのよ。一部だけでいいの」と言いました。一部ってなんだろう、ときどき会ってセックスすることなのだろうかと思いましたが、奥さんには言えませんでした。

電話が鳴りました。吉本さんからで、僕に替わってくれと言っているようです。

僕が電話に出ると、吉本さんは僕が居座るのではないかと思ったようで、「そこは僕たちが住んでる部屋だから、とにかく君は出て行ってくれないか」と言いました。もっともなことです。そう言われて、自分がどんなに厚かましい人間なのだろうかと思いました。

吉本さんに会わせる顔がないので、その日からDIGには行かなくなり、吉本さんとは会っていません。ところが、不思議と町で吉本さんを見かけることがたびたびあり、僕はそのたびに物陰に隠れていました。

奥さんとは1回だけ映画を観に行きました。奥さんに誘われて、中央線にあるどこかの大学の学園祭で、アラン・レネの「去年マリエンバートで」を観ました。そのときはものすごく疲れていて、映画の途中でグッスリ眠ってしまいました。目が覚めたとき、奥さんに気づかれなかったか心配でした。映画のあとお茶を飲んで話をして、それから一度も会っていません。

何年か経って、映画館で「去年マリエンバートで」を観ました。月明かりに照らされたあのときの奥さんの顔が思い出されて、センチメンタルな気持ちになりました。


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