「流れる雲のように」 第3話 末井昭
3. 壊れた父親
父親が人を羨んだり、怠け癖がついたり、グチばかりこぼすようになったのは、三菱重工川崎自動車製作所の通称「地獄の3丁目」で働くようになったときからではなく、自分の妻が近所の若い男と不倫した末、その男とダイナマイト心中したときからです。そのとき、父親は壊れたのではないかと思います。
それまでは、誇れるものは何もないのにプライドだけは強く、そのため人とよく喧嘩をする父親でしたが、真面目によく働き、子供思いの父親でもありました。
僕が育った岡山県の山奥の村では、産業と言えるものが何もなかったのですが、唯一クレーの原料を掘り出す鉱山が近くにあり、父親はその鉱山で働いていました。坑道の奥でダイナマイトを爆発させて、爆破した鉱石をトロッコで外に運び出すのが主な仕事でした。
ダイナマイトというと危険なものだと思われますが、ダイナマイトと雷管が分離している分には爆発したりしません。切り羽に長いノミで穴を開け、そこに雷管を差したダイナマイトを詰め込み、導火線を引っ張ってタバコで火をつけます。導火線に火がついたら、ヨッコラショという感じで坑道の外に出るのです。ずいぶんのんびりしたもので、それでも事故はほとんどありませんでした。
ダイナマイトはダイナマイト小屋に保管されているのですが、父親はそこから1箱持って帰って家の床下に置いていました。その木箱を開け、油紙でくるまれたダイナマイトがギッシリ詰まっているのを見たとき、なんだか美味しそうに見えて、油紙を剥がしてちょっと舐めてみたら、かすかに甘い味がしたことを覚えています(子供の頃はお菓子なんかめったに食べられないので、歯磨きでも甘味源というチクロの錠剤でも、なんでも口に入れるクセがあったので)。
ダイナマイトは、畑の邪魔な岩を爆破したり、ときには喧嘩のときに使ったりしていましたが、父親と一緒にダイナマイトで魚を捕ったときのことが一番記憶に残っています。
川幅が広く(といっても5メーターぐらいですが)魚がいそうなところに、導火線に火をつけたダイナマイトを放り込み、父親と身をかがめていると、ドーンと爆発して水柱が立ちます。派手なわりには魚はほとんど捕れず、メダカが数匹浮く程度でしたが、ドーンと爆発音がして水柱が立つところは、のどかな田舎の風景を切り裂くようで、楽しかったのかもしれません。
魚を捕ると言えば、ゲランで魚を捕ったこともよく覚えています。父親がどこからかゲランを買ってきて、その黄色い根をトンカチで叩いて潰します。その樹液を川に流すと、魚がシビレて浮かんでくるのです。これはおおっぴらにやるとマズかったようで、村人が寝静まった頃に父親と2人で川に行きます。僕は、ゲランを流すところから数10メートル川下でカーバイドのランプと網を持って待ちます。しばらくすると父親もきて、腹を上にして浮かんだ魚が流れてくるのを2人ですくいます。とても食べきれない量の魚が捕れるので、串に差していろりの上にぶら下げておくと、川魚の燻製ができあがります。
そんなことをやっていたときは、父親のことが本当に頼もしく思えたものでした。
父親が町の映画館に掛け合って、わが家で映画を上映したこともありました。その頃はまだテレビもなく、娯楽といえば旅回りの一座が公民館で芝居をやるぐらいなもので、映画なんて観たことがない人がほとんどでした。
映画の当日はワクワクしました。町の映画館が出前で、確か16ミリだったと思うのですが映写機ごと持ってきて、わが家の部屋に設置し、スクリーンは土間にシーツを張りました。試しに映してみると、引きがないので画面が小さくて迫力がありません。このとき父親が「壁をぶち抜こう」と言い出しました。映写機を外に置いて映すと言うのです。これは母親の猛反対で中止になったのですが、そうでなくてもボロボロの家だったので、あのとき壁をぶち抜いていたら家が倒れていたかもしれません。そういう向こう見ずなところがある父親で、その性格を僕も受け継いでいるのではないかと思うことがあります。
わが家で上映した映画は中村錦之助主演の『笛吹童子』で、僕が映画を観たのはこのときが初めてでした。中村錦之助が女の子のように綺麗だったことを覚えています。画面は小さくても、集まった村人たちは満足して帰ったようでした。父親はそうやって人を楽しませることも好きでした。
母親は肺結核に罹っていて、弟が生まれて1年ほど経った頃、町の病院に入院しました。その頃は祖母も亡くなっていたので、3人だけで暮らしていたのですが、働きながら2人の子供の面倒をみるのは難しかったようで、僕と弟は別々の親戚にあずけられることになりました。
弟は兵庫県の母親の妹が嫁に行っている家にあずけられましたが、僕があずけられたのは家から近いところでした。その親戚の家からみんなより1年早く小学校に通っている頃(手間が省けると思って、親戚か父親が学校に頼み込んで入れてもらったのでした)、母親が退院してきました。
母親は、入院前とはずいぶん変わっていました。着るものや食べるものの贅沢をするようになって、わずかな田んぼも全部売ってしまいました。父親が働きに行っている間、村の男たちが家に出入りするようになり、そういうときは僕と弟は外に出されました。
夫婦喧嘩も頻繁にするようになり、あるとき父親が火鉢を投げつける大喧嘩したとき、母親は着の身着のままで家を飛び出し、そのまま帰ってきませんでした。
父親は親戚を廻ったり、町の警察に捜査願いを出したりして探していましたが、見つかりません。しばらくして、家の近くの山の中で、バラバラになった2人の死体が発見されました。山仕事をしていた人が、連れている犬が吠えるので行ってみると、腸が木の枝に引っ掛かったりしていたそうです。
相手はうちによくきていた隣の家の炭焼きをしている20過ぎの青年で、2人はダイナマイトで心中していました。母親が退院したのは肺結核が治る見込みがなかったからで、「どうせ死ぬのなら好きな男を道連れに」という気持ちがあったのかもしれません。
この心中事件は村中で大騒ぎになりました。隣の家とは仲良くしていて、僕もよく遊びに行っていたのですが、この事件以来お互い口もきかなくなりました。
父親は村の人と顔を合わせたくなかったのか、やる気がなくなったのか、鉱山を辞めて家に引きこもってしまいました。田んぼがなくなった上に、父親が働かないから現金収入もなくなり、食べるものにも困るようになりました。
父親はいつも家でゴロゴロしているので、働いてくれと頼むと「なんでワシだけ働かすんじゃ」と、弱々しい声で言います。「なんでワシだけ」と言われても、僕は小学生だし弟はまだ小学校にも上がってない子供です。
父親は長船のタンス屋に婿養子で入った弟のところに、よくお金を借りに行っていました。その弟が国道2号線沿いに食堂を出したので、そこのコックを任されたこともあるのですが、材料を使い過ぎるということでクビになりました。
あるとき、飼っていた猫がギャーギャー鳴くので出てみると、うちの猫の後ろ足を持って逆さにぶら下げたカヨちゃんが、ニヤニヤしながら立っていたのでゾッとしました。カヨちゃんというのは、同じ村に住む20代の白痴の女の人です。髪は伸ばしっぱなしで、汚い格好でよく歩いていましたが、みんなは見て見ないふりをしていました。
「ジュウちゃんおる?」とカヨちゃんは言います。父親は重吉という名前だったので、みんなからジュウちゃんと呼ばれていました。そのとき父親は出掛けていて、僕と弟しかいなかったので「おらん」と言うと、カヨちゃんは猫をぶら下げていた手を離してどこかに行ってしまいました。
それからしばらくして、父親とカヨちゃんのことが村で話題になりました。カヨちゃんは村の家々を一軒ずつ「ジュウちゃんとオメコした」と言って廻っていたのです。
おそらく、カヨちゃんは嬉しかったのではないかと思います。嬉しかったから報告して廻ったんだと思いますが、報告していいことか悪いことか、カヨちゃんにはわかっていなかったのでした。
オメコという言葉は、村の若い衆が子供をからかいながらよく言っていたので、父親が何をしたかは僕にもわかっていました。まったくもって恥ずかしいというか、父親のことを本当になさけなく思いました。父親もこの件があってからは、さらに村の人と顔を合わせずらくなったのではないかと思います。
★末井昭氏の新刊『自殺』(朝日出版社刊)と『素敵なダイナマイトスキャンダル』(復刊ドットコム刊)が全国書店で絶賛発売中です。この小説と連動している部分もありますので、合わせてお読みいただけると100倍面白く読めます。オススメです!