「流れる雲のように」 第16話 末井昭
16. 集会は好き?
クラウンというピンクサロンの看板描きを始めたのですが、ただ看板を描くだけではなく、店のロゴやアイキャッチャーのデザインも頼まれました。
アイキャッチャーは、王冠を被ったミニスカートの女の子が、スカートの端を持ち上げウインクしている絵を描きました。ちょっとクインビーの二番煎じみたいでしたが(クインビーのアイキャッチャーは、ネグリジェを着た女王蜂風の女の子がネグリジェの端をつまんでウインクしています)意外と評判がよく、それを使ってチョーチンとチラシを作ってくれと頼まれました。こういう外注ものは、中間マージンが抜けるので儲かります。チラシはだいたい倍の値段で入れていましたから、1枚2円で発注し1万枚作ると2万円儲かります(現在の貨幣価値に換算すると10万円ぐらい)。
看板関係では、店内に飾るイラストパネルや、ビルから吊るす垂れ幕なんかも頼まれました。垂れ幕もアパートの6畳間で作っていましたが、乾かす場所がないので、描いた順に窓から垂らしていきます。
隣は大家さんの自宅です。目の前に「お色気大作戦!7時までオール半額!」と書かれた白い布が垂れ下がってきたので、びっくりしたのではないかと思います。女性の大家さんだったので、「“お色気大作戦!”とはなんぞや」と思ったのかもしれません。「いったい何をしてるんですか?」と聞きにきました。
僕の描く看板は発色がいい蛍光カラーを使っているので評判がよくて、クラウンの他店からも頼まれるようになり、どんどん忙しくなりました。下描きしている時間もないので、女の子の絵なんかは看板に直接描きます。デッサンが狂っていますが、ピンクサロンの看板の絵は、微妙にデッサンが狂っているほうがいいと僕は思っていました。そのほうが酔っ払った人にはエロっぽく見えて、「よ~し、ここに入ってやるか」という気持ちになるのです(トイレの落書きに興奮するようなもの……かな?)。あくまでも個人的な印象ですけど。
その看板を電車で運ぶのも限界がきていました。そういう話を長田店長にすると、事務室と更衣室がある地下の空いたスペースを、作業場として使わせてもらうことになったのでした。満員電車でタタミ1畳より大きい看板を運ぶのは、みんなの迷惑視線を浴びて、かなりストレスが溜まっていたので助かりました。
店が営業中のときには、みんな店に出ているので地下には誰もいません。たまにマネージャーがお客を引っ張ってきて、「てめぇ金払えねぇとはどういうことだ!」と言ってボカッと殴っていました。お客も酔っているので「メニューと値段が違うじゃねぇか! 高けぇよ!」とわめいていますが、またマネージャーがボカッと殴ります。結局ボーイがお客の家まで同行して取りに行くことになったようです(“付け馬”と言います)。看板を描きながらそういう光景をチラチラ見ていると、ここがどういう感じの店なのかだんだんわかってきます。
クラウンには15人ほどのホステスさんがいましたが、半分以上は長田店長が連れてきたと本人が言っていました。真珠入りの威力でしょうか。いまのように、大学生が風俗で働くような時代ではなかったので、キャバレーもピンクサロンもホステスさんを集めるのが一番大変でした。だから長田店長のように、ホステスを自分で集められる人は、経営者から重宝がられていたのでした。
あるとき、地下室で長田店長の新人教育が始まりました。初めてホステスの仕事をする新人の女の子を、店長がお客になって指導しているのです。使い古しのソファーに2人が座り、長田店長が女の子の肩に手を回しています。もう一方の手は女の子の太腿に置いていて、その手がだんだんスカートの中に入っていきます。
僕は看板を描きながらチラチラ見ていたのですが、僕の視線などおかまいなしに長田店長はキスまでしています。もう新人教育でもなんでもありません。セクハラもいいところですが、当時はそういう言葉もない時代でした。
そういう長田店長の新人教育を見たあと池袋の町に出ると、モヤモヤした気持ちになってきます。駅に向かって歩いていたつもりが、いつの間にか歓楽街のほうに足が向いています。「お兄さん、お兄さん」と、呼び込みの声がかかります。目を伏せてスーッと通り過ぎます。「どこいくの~? 寄ってかない?」と女の人からも声がかかります。見るとヌードスタジオという看板が出ています。何をするところかわかりませんが、入ってみたい気持ちになります。ポケットの中のお金を握りしめ、一瞬どうしようか考え、そのまま通り過ぎます。そうやって池袋西口の歓楽街をウロウロ歩き回っていると、ムラムラが増幅されていくのですが、僕はまだそういうところに入る勇気もありませんでした。
ある日、長田店長が「末井ちゃん、た、たまには、あ、あそんで行ってよ」と、まるで呼び込みのようなことを言います。「や、や、やすくしとくからさぁ」と言うので、初めて自分が看板を描いている店にお客として行くことになりました。というか、ピンクサロンという店に行くのも初めてのことでした。
店に入ると真っ暗です。音楽がデカイ音でガンガン鳴っています。天井にはブラックライト(蛍光カラーに反応します)が付けられていて、僕が蛍光カラーで描いた女の子の絵が暗闇に浮かび上がっています。われながら、なかなかキレイだと思いました。ホステスさんたちの顔は暗くてよくわからないのですが、歯だけはブラックライトに反応して白く光っています。エロとかセクシーとか言うより、なんだかお化け屋敷のような感じもします。
マネージャーはハッピを着て、音楽に合わせてタンバリンを叩きながら「ソレソレソレソレ~」と盛り上げていますが、そのわりにはお客さんがそんなにいません。お客さんが少ないから、僕が呼ばれたというわけです。
僕の横にホステスさんが座りました。小柄なそのホステスさんは、よく見ると長田店長に新人教育された女の子でした。僕が地下で看板を描いていることは知っていたので、「看板描いていくらになるの?」とか「店長とは知り合いなの?」とか聞かれました。
僕はそのころお酒が飲めなかったので、コーラをチビリチビリ飲んでいたら、そのホステスさんが「店が終わったあと飲みに行かない?」と言うのでドキンとしました。「いや、酒は飲めないんです」とは言えなくて黙っていたら、「南蛮で待ってて」と言います。
南蛮というのは、ロマンス通りにあった大きな深夜喫茶です。僕はそこに入って、一番隅の席でコーヒーを飲みながら、「来るはずないよなぁ」と思いながら待っていました。
クインビーにいたので、お客さんがホステスをどこそこで待っているとか言って口説いても、行かないのはわかっていました。ホステスさんが「終わったら行く。待っててね」とか言っても、行くはずがないのです。託児所にあずけた子どもを連れて帰らないといけないのです。だからお客さんとの約束はいつも守らないことになるのですが、お客さんのほうも簡単に来るはずはないと思っているのか、怒りもしないでまた店に来てくれるのです。
あのホステスさんも子どもがいるのかなぁとか考えていたら、「あ、ここにいた」とか言って、そのホステスさんが現れたのです。僕は一瞬「困ったことになった」と思いましたが、胸がドキドキしていました。南蛮を出て、ホステスさんと近くの店でビールを少し飲んだら、フラフラになってしまいました。
フラフラしながらホテル街まで歩いて、2、3軒のホテルに満室だと断られ、ニュー花月とかいう侘しいホテルに入り、そこでセックスをしました。妻以外の人とするのは初めてでした。しかし、フラフラだったので何をしたのかよく覚えていません。
明け方、ホテルを出るときに、ホステスさんから「集会は好き?」と聞かれました。そのころは学生運動もまだ盛んでデモやら集会やらをやっていましたが、その集会とは違うような気がしました。僕は好きとも嫌いとも言わなかったのですが、ホステスさんもそれ以上何も聞いてきませんでした。
僕の頭の中にいつまでも、あのときの「集会は好き?」という言葉が残っていて、そのホステスさんをなんとなく避けるようになりました。