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「流れる雲のように」 第15話 末井昭

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高校卒業し出版界に入るまでの苦悩と葛藤を描いた連載小説! 挿画/東陽片岡

「流れる雲のように」 第15話 末井昭

15. 一人看板屋開業

なけなしのお金で引いた電話が、久し振りにリリリーンと鳴りました。出てみると長田店長でした。

長田店長は、クインビー・チェーンの何軒かの店でマネージャーや店長をやったあと、クインビーが経営する喫茶店の店長をしていました。その喫茶店がクインビー宣伝課と同じビルにあったので、僕はよくその店へコーヒーを飲みに行っていました。いつもお客さんがいなくて暇そうで、僕が行くとたいてい店長との長話になり、僕がいつも聞き役になっていました。

喫茶店の店長をやっているより、やはりキャバレー時代のほうが面白かったみたいで、長田店長の話はいつもその頃の自慢話でした。キャバレーやピンクサロンに行ってホステスを引き抜いてくる話や、ホステスにモテた話や、チンコに真珠を入れた話や、さすが水商売一筋でやってきた人の話は相当下品で面白く、長田店長と会うのが楽しみでした。

体はかなり体重オーバー気味でしたが、顔はなかなかハンサムで、しかもどことなく気品もあって、頭の中でいつもスケベなことばかり考えているようにはとても見えません。かなりドモリで、話すとき顔が少し情けなくなるのですが、そこがホステスさんたちの母性本能をくすぐっていたのかもしれません。

電話の向こうで長田店長は「こ、こ、こんどさ、池袋のク、ク、クラウンにいるからさ、あ、あ、あそびに来てよ」と言います。長田店長が言ったことをそのまま書くと長くなるので、要約して書きますと、僕がクインビーをやめたすぐあとに上野の喫茶店をやめて、池袋駅西口のロマンス通りにあるクラウンというピンクサロンの店長になったので遊びに来い、クラウンは他にも2軒あって、看板を描く人がいないから末井ちゃんに描いてもらいたい、ということでした。

仕事が貰えるというので、長田店長がいる時間を見計らってクラウンに行ってみました。

池袋西口のロマンス通りは、ピンクサロンや居酒屋やパチンコ屋がゴチャゴチャ立ち並ぶ歓楽街で、クラウンはロマンス通り入口のビルにありました。1階がクラウンというピンクサロンらしく、まだ開店前なのでシーンとしています。入口の横に地下に下りていく階段があり、「ホステスさん応募の方はこちらへ」という貼紙があるので、地下が事務所になっているようです。

階段を下りていくと、そこはコンクリートむき出しの倉庫のようなところで、その一角を仕切って事務室として使っていました。事務室の反対側にスチールのロッカーが並んでいるので、ホステスの更衣室としても使われているようです。

その事務室のドアを開けると机が3つ置いてあり、長田店長と小柄な男がいました。長田店長は僕の顔を見ると、「こ、こ、この人が、さ、さ、さっき言ってた末井さん」と言って、小柄な人に僕を紹介してくれました。

小柄な人はクラウン・グループ(といってもわずか3軒ですが)の社長だそうです。僕が岡山出身だということを聞いていたらしく、「わしも岡山の出身じゃ。あそこはえーとこじゃなー、わしもいつか岡山に店出そうと思うとるんよ」と、こっちが恥ずかしくなるくらい方言丸出しで話します。

僕よりずっと長く東京にいるはずなのに、岡山弁が抜けないってどういうことなんでしょうね。僕は1ヵ月ぐらいするとその土地の言葉になじんでしまうので、いつまでも方言が抜けない人が不思議でなりません(枚方の工場の寮で3ヵ月過ごしたときは、寮に福岡出身の人が多かったので、僕も博多弁になっていました)。 「まーよろしゅー頼みます」と社長から言われ、店長と喫茶店に行って具体的な看板の打ち合わせをしました。1枚作って3千円(いまの貨幣価値に換算すると1万3、4千円)貰えるそうです。それを聞いて、いきなり金持ちになったような気分になりました。

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イラスト: 東陽片岡

こうしてフリーの看板屋になったのですが、問題は作る場所です。わざわざそのために場所を借りるお金もないので、祐天寺の6畳のアパートで作るしかありません。出来上がった看板を運ぶのは、車を借りるほどでもないし、運転免許も持っていなかったので、電車でなんとかしようと思っていました。

看板は生地から作ります。そのためのノコギリ、トンカチ、釘、それから下地に紙を貼るのでその紙と糊、水性のペンキ、筆、刷毛、看板をカバーするビニールなどを買ってきました。

材木屋はアパートの近くにあったので助かりました。そこからベニヤ板と小割を買ってきて、M子がアパートの1階の双眼鏡のケース工場で働いている昼間、部屋を片づけて新聞紙を敷き、まずは看板の生地作りです。ベニヤ板はサブロク(3尺×6尺、つまり畳1枚の大きさ)を買ってきて、切らないでそのまま使います。小割を切って裏から釘で打ちつけ、枠と看板の足を作ります。

隣の部屋は男女のカップルが住んでいましたが、男のほうがヤクザ風で、僕と同じように昼間も部屋にいることが多かったので、なるべく音を立てないように看板を作らないといけません。これが結構難しいのです。

下が畳ですから、ベニヤに小割を釘で打ちつけようとしても、力が畳に吸収されて釘が打てません。下にもう1枚のベニヤを敷くと打てるのですが、そうしたら音がデカくなります。音が漏れないように窓は閉め切っているので、(しかも夏なので)部屋の中は異様に暑くなっています。さらに釘を打つときの音を少しでも抑えようと、布団を被って打っているともう汗だくで、頭がクラクラしてきます。

そうやって出来上がった看板を部屋の中で立ててみると、180センチの看板に30センチの足がついているので天井スレスレで、もの凄くデカイものに見え、こんなもの電車で運べるのだろうかと心配になりました。

油性のペンキで描く看板は、出来上がった生地に白ペンキを塗り下地を作り、その上から絵やら文字を描いていくのですが、油性だと渇きが遅いし部屋が臭くなるので、水性のペンキで描くことにしました。水性の場合は下地に薄い紙を貼ります。まず看板に薄く溶いた糊を刷毛で塗り、白い紙を貼るわけですが、これも一人でやるとなかなか上手くいきません。シワになるのです。コツは、看板を立て、糊を一面に塗ったあと、紙の片方を上に止めます。そこから左右に引っ張りながらだんだん下りてくるのです。全部貼ったら、ティッシュを丸めて真ん中から外に向って抑えます。そして水を吹き掛けて乾かします。障子の張り替えと同じです。看板の作り方を詳しく書いてどうするんだ、というようなことですけど。

次に絵やら文字を描くわけですが、僕は必ず蛍光色を部分的に使うようにしていました。そのほうが綺麗に見えて目立ちます。よく使っていたのが蛍光ピンクですが、ピンクは日光に弱くすぐ白く退化してしまいます。しかし、そのほうが看板の注文も増えるという計算もありました。

絵や文字を描いて看板は出来上がりですが、そのままだと雨に濡れるとボロボロになるので、上からビニールを掛けます。そのビニールを看板の側面に画鋲で止めて出来上がりです。ビニールの光沢で、看板がより引き立ちます。

その看板に新聞紙を掛け、セロテープで止め、クラウンが開店する夕方6時までに届けます。大きな看板を抱え祐天寺の駅から東横線に乗ると、丁度夕方のラッシュ時で、下りほどではないにしてもかなり混んでいます。渋谷から山手線に乗るとさらに混んでいて、看板がお客さんに当たりジロッと睨まれます。僕は逆に睨み返し、「生活のためだ、文句あるか」と心の中で呟いていました。


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